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2007.07.04 (Wed)

2006バルト三国旅行記(その46) - もう来ねぇよ!!(9月14日)

この日、この旅行で唯一の笑えない事件がありました。
寝坊もシャレにならなかったが、あれは結果オーライなので。


◆リガの新市街地を探検

軍事博物館を見学していると、暑いわけでもないのに凄い量の汗が吹き出してきた。どうやら風邪薬が効いてきたらしい。薬屋のおばちゃんが太鼓判を押しただけあって、すごい効き目。汗をかいたせいで熱が下がって、気分がかなり良くなった。

気分が良くなったので、昨夜に引き続き新市街地へ行ってみる。
観光地&繁華街の旧市街地と比較すると、新市街地は観光客は殆どおらず、立ち並ぶ店も靴屋とかスーパーマーケットとか地元民向けの店が多くて生活の匂いがする。ソ連時代に建てられたものが殆どで歴史的価値があるようには見えないが、それでも多くの建物にユーゲントシュティール様式の装飾が施されていて、なかなか雰囲気がある。

リガの新市街地
リガの新市街地

新市街地の裏路地
裏路地に入るとこんな感じ


歩いているだけなのに汗をかいて仕方ないので、カフェに入って一休みする。お茶を飲んでいると、隣に母娘らしき二人がやってきて書類を見ながら話をはじめた。話の内容はさっぱり分からないが、二人がロシア語を話していることは理解できた。しかし、横目で観察すると、そのドキュメントはラトヴィア語で書かれている。
やっぱりこの国は変だ・・・。

古聖ゲルトルート教会しばし休憩した後、古聖ゲルトルート教会へ行ってみる。昨日の夜に見たときは夜空にそびえたつゴシック様式の尖塔が何とも不気味な雰囲気を醸し出していたが、昼間に見ても迫力がある。歴史的価値はそれほど高くないようだが、旧市街地からそれほど遠くないので、時間に余裕があれば見学をお勧めする。
中に入ると、おばちゃん達が椅子に飾りつけをしていた。何か儀式でもあるのだろうか?残念ながら、外観が迫力ある以外はさして見るものは無いので、速やかに立ち去る。

薬が効いてだいぶ楽になったが、やはりまだ体調が悪いようで、歩いているだけですぐに疲れてしまう。ホテルに戻ってひと眠りすることにする。裏路地をブラブラと歩いて帰るが、晩ご飯の食材を買い求めるおばちゃんやら、路地で遊ぶ子ども達やら普通の市民の生活の様子が見えて面白かった。


ホテルに戻り数時間寝る。起きると夕方になっていた。
これ以上リガにいても仕方ないので、明日はどこへ行くか考えなくてはならない。古城のあるツェースィスへ行くか、エストニアのタルトゥへ行くか・・・。リガ駅へ行って列車とバスの時間を調べる。
駅を出ると夕暮れがとてもきれいだったので、街の真ん中を流れる運河のほとりにある公園でベンチに座って空を眺める。周りにも夕暮れのひとときを楽しむ市民がベンチや芝生でのんびりと談笑している。日本にいるときはなかなかできない時間の過ごし方だなぁ。だいたい職場を出るときはとっくに日が暮れた後だから、夕焼けを見ることすらない。

しばしベンチでくつろいだ後、お腹がすいたので昨日行ったカフェテリアへ再び行く。ご飯を食べていると隣に日本人の女の子が二人やってきた。彼女達はスウェーデンからここに来て、この後はエストニアに向かうのだという。あのー、リトアニアには行かないんですか?



◆バルトの惨劇

2時間ばかり飲んだらさっさとホテルに帰り、明日に備えてぐっすり寝よう。そう決めると、寝酒を飲む場所を探して旧市街地でバーを探す。
適当に歩いて、とあるバーに入る。店内は狭くてゴチャゴチャしているが、それ以外は至って普通。実は普通の店じゃないことが後に判明するが、このときのにゃおんちゃんにそんなことが分かるはずもない。

カウンターでビールを飲んでいると、隣に女の子がやってきて話しかけてきた。彼女の名前はオクサナ、オデッサ出身のウクライナ人でリガの学校に留学しているのだという。にゃおんちゃんがウクライナに行ったことを話すと、「あんなところに何をしに行ったの?」と驚かれた。ウクライナ人から見たら、ウクライナに観光に行く奴などよほどの物好きに見えるのだろう。ええ、オイラはその物好きなんですよ。
彼女も他のウクライナ人の例に漏れず、母国に戻るつもりは無いという。ここで勉強して、あわよくば西欧のより豊かな国へ移住したいと思っているそうだ。政治や経済はマフィアに牛耳られ、その利権にありつけない庶民にはロクな仕事が無いウクライナ。オクサナのように英語を話し、外国に留学するチャンスのある連中はどんどん逃げ出して行く。


1時間ばかり話をした後、彼女は去っていった。にゃおんちゃんも疲れてしまったので帰ることに。ところが、お会計の額が89LVL(約2万円)だという。8.9LVLの間違いかと思って伝票をよく見るが、89LVLと書いてある。

ビール2杯、カクテル3杯で2万円だと?

オクサナに2杯ばかりご馳走してやったら、彼女は何やらゴージャスなカクテルを頼んでいたが、それにしたってこんな額にはなるまい。無駄と思いつつも抗議したところ、奥からガタイの良いおじさんが出てきた。万事休す。ちっ、払うよ。払えばいいんだろ、馬鹿野郎。
90LVL出すと、店員が「お釣りが無いから、1LVLは彼へのチップにしてくれ」と用心棒を指差す。ふざけんな、馬鹿野郎。もう、げんなりしていたので1LVLは彼にくれてやることにした。用心棒のおっさんに見送られて店を出ると、彼は一言「Thank you」と言って店内に戻っていった。


ふざけんな!ふざけんな!もう二度と来ねーよ!

もう来ねえよ!!

普通、多くのバーはキャッシュオンデリバリーなのだが、この店は違った。金を払おうとしたら、「伝票でチェックしてるから後でいい」と言われたのだ。そのときはさほど疑問にも思わなかったが、うかつだった・・・。今にして思えば、オクサナも怪しい。彼女は店とグルだったのだろうか。
酔いが一気に醒めたが、疲れが一気に押し寄せてきて、ホテルに戻るとすぐに寝てしまった。
この国は最初から印象が悪かったが、何とか好きになろうと努力した。にもかかわらず、こういうオチだ。こんな街、明日の朝一番の列車で出ていってやる!


≪つづく≫

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22:09  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.06.29 (Fri)

2006バルト三国旅行記(その45) - ラトヴィアで見つけた日の丸(9月14日)

最近、打率が恐ろしく低迷中の当ブログですが、マジで仕事が忙しいんです。もう3週間休み無しで働いてます。勘弁してつかぁさい。

というわけで、困ったときの旅行記。
ヴィリニュス→シャウレイ→クライペダ→リエパーヤ→リガと来て、ただいまリガ滞在2日目。


◆微動だにしない兵士へお笑いテロを敢行?

朝8時30分に目が覚める。蚊がうるさくてよく眠れなかったうえに、熱っぽくて具合が悪い。

リエパーヤで風邪をひいてから今日で3日目。昨年、キエフ(ウクライナ)でも風邪をひいて熱を出し、ピークはその3日後のミンスク(ベラルーシ)にいたときだった。20kg近い重量の荷物を担いで、フラフラしながら英語など全く通じないミンスクをさまよい歩いた悪夢が頭をよぎる。
今日一日リガで過ごすので移動の予定は無し。今日がピークになってくれるといいが・・・。

具合が悪いうえに毎日歩きづくめで足がガタガタなので、ゆっくりと風呂につかって体を労わる。普段はシャワーを浴びる程度で済ませてしまうことが多いので、こんなときじゃないとゆっくり風呂に浸かることは無いかもしれない。たまにはいいもんだ。

アウデーユ通りだったかな・・・?  聖ヨハネ教会
リガ旧市街地の裏路地にて撮影。朝なので人通りも少ない。


1時間ほどゆっくりと風呂に浸かって10時に外出。持参した風邪薬が切れたので、薬屋を探して旧市街地を散歩する。ダウガヴァ川のほとりを通ってブラックヘッドのギルドまでブラブラと歩いた末に薬屋を発見。幸いなことに店員のおばちゃんは英語を理解する人で、お湯に溶いて飲むタイプのものを勧めてくれた。「これは絶対に効く」と太鼓判を押すので購入。
ちなみに、別れ際にこの店員が言った「Uz redzesanos(さようなら)」が、ラトヴィアに来て初めて普通に聞いたラトヴィア語。街を歩いていても聞こえてくるのはロシア語ばかりだし、昨夜バーで話した若者達はラトヴィア語を使っていたが、普段からそうしているというより、意図的に使っているような感じがした。

さて、お湯など持っていないしホテルに戻るのも面倒なので、近所の商店でミネラルウォーターを買って飲む。間違って炭酸入りの水を買ってしまい、ゲフゲフ言いながら飲むことに。
こっちでは何故か炭酸入りのもののほうが多い。これまでに幾度間違えたことか。そして今回も間違えた。きっと次回も間違えて、ゲフゲフ言いながら水を飲むのだろう。

リガ城の正面入口にある公園のベンチに座って薬を飲んでいると、ちょうど衛兵が交代するところを見ることができた。兵士たちは銃を縦に構え、ドイツ兵よろしくガチョウ歩きをしながら任務を交代する。交代して任務についた兵士はピクリとも動かず、城の入口に立っている。
どうせ普通に話しかけても多分無視されるだろうから、ジョークを言ったり変な顔をして笑わせてやりたい衝動に駆られるが、銃口を向けられたりすると怖いので止めておく。

ちなみに、リガ城は超ヘボい。城と呼べるほどのものではなく、ただの屋敷程度。

リガ城の兵士

リガ城  ユーゲントシュティール様式の銀行
上:ガチョウ歩きする兵士
左下:リガ城。ヘボいです。 右下:銀行の建物。これもユーゲントシュティール様式。 


◆リガで見つけた日の丸

しばし公園で日向ぼっこをした後、軍事博物館へ移動。今日も天気はいいが風が冷たくて寒い。
かつては火薬庫だった建物のこの軍事博物館、中に入るとあらゆる時代の兵器が展示されている。下の階から歴史順に並んでいるようで、下の階には中世の鎧なども展示されていたが、あまり興味が無いの目もくれずに上を目指す。
案の定、上のほうに行くと第一次世界大戦仕様と思われる大砲やら、第二次世界大戦の頃に使われたであろう迫撃砲などが置いてあった。しかし、表示が全てラトヴィア語で書かれているので殆ど理解できない。

ラトヴィア軍事博物館
軍事博物館の外観。なかなか可愛らしい。


最上階の一番奥の部屋で日の丸を発見。キエフの大祖国戦争博物館でボロボロになった日の丸を見つけた際に涙が出そうになったことを思い出す。あの日の丸はシベリアに抑留された日本兵から取り上げたものらしいが、ここに展示されている日の丸はどのようにしてここに来たのだろうか?
解説文はやはり全てラトヴィア語で書かれており、全然意味が分からない。仕方が無いので通りかかったカップルを捕まえて尋ねてみると、親切な彼らは英語に翻訳してくれた。ありがとう!
彼らの話によると、この日の丸は日本兵から取り上げたものではなく、シベリア送りとなったラトヴィア人が日本兵と意気投合して譲り受けたものらしい。うーん・・・ソルジェニーツィンによればラトヴィア人はチェキストだらけなはずなのだが・・・。w

そんなわけで、キエフで見たものほど悲壮感は漂わない。

ラトヴィアで見つけた日の丸
軍事博物館で見つけた日の丸。


他にもソ連に併合される前の時代の軍旗、ソ連時代のプロパガンダ・ポスター、1991年の再独立の際に作られたであろう独立闘争を呼びかける看板などが展示されていた。軍事博物館などと言うわりには兵器が全然無くてショボいのだが、こういう小物は結構充実していて面白い。

ラトヴィアの軍旗
最初の独立後に作られた軍旗。

皆様もご存知のスターリン  プロパガンダ・ポスターその1
左:グルジアからやってきた鬼畜 右:ラトヴィア語で書かれているので、併合後のもの?

プロパガンダ・ポスターその2
こんなポスターにそそのかされて赤軍に入ろうものなら、酷い目に遭うこと間違いなし。

レーニン壷
壷にまで描かれてしまった同志レーニン。珍品です、笑います。


≪つづく≫

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

22:29  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.05.21 (Mon)

2006バルト三国旅行記(その44) - やっとまともなラトヴィア人に遭う(9月13日)

最近、更新が滞り気味です。仕事が忙しいのに加えて、例の「ポンセの野望」の執筆に煮詰まって現実逃避しておりました。
そんな困ったときに繰り出すネタはこれ。はい、バルト旅行記。

去年の9月の話なのに、未だにグダグダと続くこの旅行記。本当にすまん。w


◆アメイジング・サムライ

ストリップ・バーへ行ったものの、おねちーゃんの裸なぞ見ることもなく退店。何をしに行ったのやら?と自分を責めながら新市街地へ戻るが、まだ飲み足りない気分だったので新市街地の片隅にある雰囲気の良さげなバーに入ってみる。
店内はシンプルだが、清潔感があって木目の温かみを生かしたデザインになっている。リガの新市街地は外国人観光客が多く、この店も英語やらドイツ語やら様々な言葉が飛び交っていた。よし、ここなら飲んでいても大丈夫だろう。

カウンターでまったりと酒を飲んでいると、後ろの席にいた3人組(男性2、女性1)に声を掛けられた。東洋人が珍しいらしい。何やらヴィリニュスのバーと同じような展開に。
彼らは3人とも大学生で生粋のラトヴィア人。そこで早速疑問に思っていることを尋ねてみた。

Q:街を歩いていても、ラトヴィア語を話している奴など誰もいない。一体ここは誰の国だ?
A:ラトヴィアはロシア系住民が多いのだ。特にリガは多い。だからロシア語を話す人がたくさんいる。

Q:ロシアやロシア系住民についてどう思う?
A:ロシア系住民に特に恨みは無いが、ロシアは大嫌いだ。またいつか攻められるのではないかと思うと、とても怖い。

Q:ラトヴィアはEUにもNATOにも加盟しているではないか。いくらロシアといえども、NATO加盟国を攻めるほど無謀ではないだろう。
A:この国は60年前に国際社会から見捨てられて、ソ連に併合されているのだ。同じことが再び無いとは言えない。

Q:ラトヴィア人はソ連政府に尻尾を振ったチェキスト・・・(さすがにこの質問はボツ)

Q:リトアニアとエストニアについてどう思う?
A:良き友人だ。中にはそれらの国を嫌いな人達もいるが、我々は(利害関係が一致する)共同体なのだ。ポーランドやフィンランドとも仲良くできると思う。


細かい部分で意見の食い違いはあったものの、3人ともおおむね意見は一致していた。EU加盟については功罪両面があり(西欧各国と自由に行き来や商売ができるようなったものの、貧富の差が拡大したから)、NATOについては3人揃って「そんなもの当てにならん」と答えた。
うーん・・・自らを守るものはやはり己だけなのだ。いざとなったらアメリカが守ってくれるなどと寝ぼけたことを言っている戦後の日本人は、ラトヴィア人に笑われるに違いない。非武装中立なんて「確信犯」には通用しないのだ。フィンランド、スイス、デンマーク、ノルウェー、ルーマニア、そしてバルト三国がどうなったか歴史を調べてみるがいい。

この国に来て以来ずっと印象が悪くて、ラトヴィア人を「バルトの朝鮮人」認定しかけていたにゃおんちゃんだが、この3人組に少し救われた。
最後に、にゃおんちゃんが日本人だと分かったときの彼らの反応を書いておこう。

「(・∀・)サムライ!」

はるか東にあるちっぽけな島国が大国に喧嘩を売り、ボコボコにされたのにあっという間に復活して世界有数の大国に上り詰めたという事実は、彼らにとって驚愕モノらしい。白人のキリスト教国ではないにも関わらず、日本だけが彼らと対等に振舞っているのが、とても不思議だそうだ。
そんな彼らの疑問を納得させる答は・・・

「奴らはAmazing Samuraiの子孫だから」

ということらしい。w


1~2時間ばかり彼らと話をしたが、やはりまだ体調が悪くてひどく疲れてしまったので、ホテルに帰って寝る。
前夜に引き続き蚊に悩まされて、さっぱり眠れず。
夜中ににゃおんちゃんのほうが火病を起こして朝鮮人になる。

20:22  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04.12 (Thu)

2006バルト三国旅行記(その43) - 好奇心は猫をも殺す(9月13日)


◆新市街地でグダグダ

占領博物館から外に出ると、既に夕方になっていた。さーて、どこに行こうか・・・。旧市街と新市街地の境目、ピルセータス運河の川岸にある公園のベンチに座り、しばし考える。悩んだ末に旧市街地を出て運河の向こうに行ってみよう、よさげな店があれば晩ご飯も食べちゃおうと思い、運河の向こうにある新市街地へ。

新市街地へ入ってすぐのところにスタローヴァヤを見つけたので入ってみる。ウクライナでは幾度もお世話になった貧乏旅行者御用達の食堂だ。この手の食堂は安いし、カフェテリア形式なので直接確認したうえで自分の好きなものを選ぶことができる。豚肉と芋料理と野菜を適当に見繕って食べる。しかし、この手の食堂にしては思ったより値段が高くてちょっと驚く。味は普通。んー・・・微妙な店だな。
一人旅なので一人でご飯を食べるのはいつものことなのだが、何故か突然寂しくなる。リトアニアにいたときだって一人でご飯を食べていたが、寂しいなんて思ったことは一度も無かった。何故?リガはとても綺麗な街だが、どうにも馴染めない。そのせいだろうか。

食事を終え、新市街地を東へと歩く。ブリーヴィーバス通りをひたすら東へと歩くが、当てなど無い。リガ旧市街地の建物は古いのみならず、ユーゲントシュティール様式(ドイツ版アールヌーヴォー)の細かな装飾が施されたものが多く、それはこの街の特徴のひとつにもなっている。
旧ソ連の国だけに、「新市街地はスターリン様式の建物ばっかりなんだろうなぁ・・・」と期待していなかったが、意外なことに新市街地の街並みもなかなか素晴らしい。旧市街地の建物のような歴史や可愛らしさは無いが、重厚な佇まいでこちらでもユーゲントシュティール様式のものをたくさん見ることができる。

古聖ゲルトルード教会  ユーゲントシュティール
左:新市街地にあるゴシック様式の教会。「古聖ゲルトルード教会」という名前らしい。
右:リガの建物にはどれもこんな感じで装飾が施されている。


新市街地の建物見物が思いのほか楽しく、夢中になっていると道に迷ってしまった。大通りは車やバスは頻繁に走っているが、歩いている人は少ないし、一本裏路地に入ると殆ど人がいない。あまり調子に乗らずにそろそろ戻ったほうが良いかもと思い、旧市街地へ戻ることに。
その道中、派手なネオンに彩られたお店の前に立っていた女の子に声を掛けられた。
「ねぇ、飲んでいかない?」

ん?ここはバーか?この子は何なんだ?と首を傾げていると、その子はここがストリップ・クラブで、自分はこの店のダンサーであることを告げた。電話をするために外に出てきたが、店が暇なのでついでに客引きもしていたらしい。店に戻ろうとしたところに丁度にゃおんちゃんが来たので声を掛けてみたとのこと。
しかし、店構えはどう見てもストリップ・バーには見えない。普通はこの手の店は中は見えないものだが、この店は大通りに面しているうえに大きなガラス窓があるから、中が丸見えなのだ。
「ねぇ、寄っていってよ」

実は昨夜に晩ご飯を食べた帰りにも、ホテルのそばにあるストリップのお店のおねーちゃんから声を掛けられていた。具合が悪かったのできっぱり断ってすぐに立ち去ったのだが、昨日の今日でまたこれだ。リガではダンサーのお姉さま自ら店頭に立って客引きをするのは普通のことなのだろうか?
普通ならこんな客引きは相手にしないのだが、この日のにゃおんちゃんはどうかしていた。
「何だか面白そうだから、行ったるわい」

好奇心は猫をも殺す、である。



◆感傷はスケベ心より強かった

店内に入ると、ガタイの良いボディガードが正面に仁王立ちしていた。お客さんが来たということで、女の子が数名ゾロゾロと出てきてロシア語で話しかけてきた。聞き取れなくて固まっていると、その中の一人の女の子がボディガードのおっさんと顔を見合わせて「こいつ、ロシア語分からんみたいよ?」とかのたまう。おい、その台詞は理解できたぞ。
怪しいロシア語で、「ロシア語、少し分かります」と言ってやると二人とも驚いた顔になった。だーっはっは、どうだ驚いたか。
席に案内され、間もなく飲み物の注文が来たのでビールをオーダー。ストリップ・バーに来たのは別に初めてではないので、ここまでは驚くことは何も無かったのだが、ここから訳の分からんことが立て続けに起こる。

入口で「こいつはロシア語分からん」と言っていた女の子がビールを持ってきたが、不思議なことにその子はそのままにゃおんちゃんの隣に座って話しかけてきた。なんだ?この店のダンサーは接客もするのか?いや、ドレスを着ているが、お前は実はただのウェイトレスなのか?
「店が暇なのよ・・・」
店内を見渡すと、客はにゃおんちゃんのみ。閑古鳥が鳴きまくり。
「踊りを見たい?」
いや、踊らなくていい。そんなに暇なら少し話し相手になってくれ。というわけで酒を1杯ごちそうする。

彼女の名前はオルガ。ロシアではポピュラーな名前だ。
最初はどこから来たかとか他愛も無い話題だったが、やがて少し打ち解けてくると話も弾むようになってきた。そこで色々と疑問に思っていたことを彼女に尋ねてみた。この街で聞こえてくるのは、観光客の英語やドイツ語を除けばロシア語ばかりなのだ。看板や案内表示は全てラトヴィア語だが、実際にラトヴィア語を話している人を見たことがない。
「ああ、ラトヴィアはロシア系が多いから。特にリガは多いのよ。私もロシア系だし、普段ロシア語を話してるわよ」
でも、公用語はラトヴィア語だろ?
「学校で習ったから一応読み書きはできるけど、普段は使わないわよ」
うーむ・・・この国は一体どうなっているのだ。


ビールを飲みながらそんな話をしていると、オルガはテーブルの隅に置いてあったメニューのようなものを引っ張り出してきた。食い物のメニューかと思って覗き込むと、「Crazy Menu」と書いてある。なんだ、これ?
「プライベート・ダンスのサービスよ。あなただけのために踊ってあげる」
どうやら、追加料金を払って個室に行くと、目の前で特別なダンスを披露してくれるらしい。他にも「一緒にシャワーを浴びる」などというハァハァもののサービスもある。しかし、高いのだ。値段が恐ろしく高い。日本円にすると数千円程度しか金を持っていないので、こんな散財は無理。それにぼったくられそうで怖い。

「金が無い」と断るが、彼女もそう簡単には引き下がらない。にゃおんちゃんに顔を近づけてお色気攻撃を仕掛けてくるが、近くで見るとオルガはにゃおんちゃんのウクライナ人の友達によく似ていることに気がついた。最初は気づかなかったのだが、近くで見るとよく似ているのが分かった。
その友達はとても大事な存在だったのだが、色々とあって疎遠になってしまい、にゃおんちゃんはそのことに常々心を痛めていた。彼女のことを思い出し、すっかり感傷モードに入ってしまったにゃおんちゃんには、もはやお色気攻撃は通用しなかった。こんなにシンミリした状態でハァハァできるわけがない。

やがて、諦めたオルガは席を立つと、二度と戻ってこなかった。
何とも露骨な営業である。追加料金を払わん客は用無しか?


そんなことをしていると、3人組みのおっさんが入店してきた。おっさん達は「Crazy Menu」の存在に気づくと、酒を飲むのもそこそこに通りがかった女の子を捕まえてサービスをせがんだが、見事に断られてしまった。どうやらダンサーの女の子には拒否権があるらしい。w
サービスを断られたおっさん達は、こんな店にいても面白くないとばかりに、そそくさと出て行った。

やがてガランとした店内でひとりで飲むのに居たたまれなくなったにゃおんちゃんも店を出た。
ストリップ?ああ、一人だけ踊っていたけど、話をするのに忙しくて全然見てませんでしたよ。一体オイラは何をしにいったのやら。
ちなみに、会計は明朗でした。

00:29  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2007.04.10 (Tue)

2006バルト三国旅行記(その42) - 占領博物館にて(9月13日)


◆ラトヴィアのパルチザンはどこにいるんですか?

まるで爺さんのごとく早朝の散歩に繰り出したにゃおんちゃんだったが、発熱により体調が思わしくなく、昼過ぎにはホテルに帰還。朝食も昼食も食い損ねたので、途中の商店で水と黒パンを購入し、ホテルの部屋でモソモソと食べて寝る。

起きると夕方になっていた。博物館などが閉まるまでにはまだ少し時間があるので、さっき行き損ねた「占領博物館」に行ってみる。道を歩いていると、小学生の集団と遭遇。一人の女の子がにゃおんちゃんに気づくと、隣にいた友達の肩を叩いて「ねぇ、見て見て、あれ!」というような仕草を。するとそれに気づいた数人がこっちを見てニコニコしながら手を振ってきた。東洋人がそんなに珍しいのだろうか。
ウクライナではまるで宇宙人にでも遭遇したかのような驚愕の表情をされたことがあるが、あの子達の表情にはそんな驚きも侮蔑も無かった。ただ、ひたすら珍しいという顔をしていた。そういや、にゃおんちゃんもチビの頃は外国人を見ると珍しくて仕方なかったもんなぁ・・・。それと同じようなものか。


ラトヴィア占領博物館
「占領博物館」
ブラックヘッドのギルドのすぐ隣にある黒くて大きな建物がこれ。

さて、市庁舎広場まで行き、占領博物館に入る。入場料は無料。
1階に小さなロビーがあるが、そこにいきなり「モロトフ=リッベントロップ協定」に関するパネルがドーンと鎮座している。バルト三国はこの独ソの密約によってドイツから見捨てられ、ドイツから「好きにしていいよ」というお墨付きを得たソ連によって恫喝され、最終的には併合されている。やはり、ラトヴィア人にとっては許されざるものに違いない。

2階に上がると広いフロアがあり、時代順に様々な資料や展示物が並んでいる。大きなものはあまり無く、当時の兵士が使っていた身の回りのものや、写真、パネル、公文書などが中心。
受付で展示物について英語で解説してある本を貸してもらえる。中を見ると「自分達がいかにドイツやソ連に酷い目に遭わされたか」が延々と書いてある。
しかし、その割にはリトアニア・パルチザンの資料が多かったりするところが泣ける。「あれ?これ見たことあるなぁ」と思ったら、ヴィリニュスのKGB博物館にあるリトアニア・パルチザンの資料だったりするのだ。おいおい、ラトヴィア人は何もしてねぇのかよ・・・。

リトアニア人の強制移住先一覧図
「リトアニア人の強制移住先一覧」
第二次世界大戦が終わった後もソ連と戦い続けたリトアニア・パルチザン。そのためリトアニア人は「人民の敵」認定を受け、一般市民までもが多数強制移住の対象となった。この地図は彼らが送られた収容所を地図に落としたもの。西シベリアや中央アジア、極東に集中しているのが分かる。
ちなみに、ラトヴィア人のものは無い。おまいらはどこに強制移住させられたんだ?

リトアニア・パルチザンに関する展示物 リトアニア・パルチザンに関する展示物 その2
「リトアニア・パルチザン」
ラトヴィアの博物館なのに、何故かリトアニア・パルチザンに関するパネルが。それも結構な大きさで、たくさんあった。現物はヴィリニュスのKGB博物館などにあるので、ここにあるものは写真撮影したものをパネルにしてあるだけ。
あのー・・・すみません、ラトヴィアのパルチザンに関する資料はどこですか?

強制収容所のジオラマ
「強制収容所のジオラマ」
つくり自体はドイツや他国のものとそれほど違いは無いが、極寒の地シベリアの場合はこれに殺人的な寒さが加わるわけで、こんな小さなストーブで部屋が暖まったとは到底思えない。衰弱の末に凍死した人が多いのも納得。

ドイツ軍を歓迎する女性達
「ドイツ兵を歓迎する女性達」
ウクライナなどと同様、バルトでも市民は鬼畜のソ連軍を追い払ったドイツ兵を「解放軍」として迎え入れた。しかし、現地人を味方にする絶好のチャンスだったにも関わらず、あのチョビビゲは恐怖政治でこれに応じたため人心の離反を招いた。


結局、「ドイツやソ連にこんな酷い目に遭わされた」という解説ばかりで、ラトヴィア人がパルチザン組織を作って対抗したという資料や展示はどこにも見当たらなかった。
ソルジェニーツィンがラトヴィア人のことをボロクソに書いた理由が垣間見えたような気が・・・。

誰ですか!
「ラトヴィア人は、やはりバルトの朝鮮人だったか」と言っている人!

博物館の外に出ると、綺麗な夕焼けが見えた。

19:07  |  2006バルト三国  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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