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2008.01.18 (Fri)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(最終回)

◆空港でおばちゃんと喧嘩

9月1日(土)
いよいよ帰国する日が来た。あとは、ここキエフから飛行機に乗ってイスタンブール経由で日本へ帰るだけ。長かったような、短かったような・・・。いや、長かったな。疲れた。
朝7時に起床する。体調はまだ悪い。薬をしこたま飲んで、これから待ち受ける長旅に備える。

キエフ駅へ向かう途中、「今度ここに来るのはいつになるか分からないのだから、街の景色をしっかり目に焼き付けておこう」と思い、意味も無く街角に佇んで景色を眺める。思えば前回もそんなことをしていたが、結果としてわずか2年で戻ってきた。戻ってきただけで、誰も待っていないし、何もしていないんですけどね。
またキエフに来ることになるのだろうか?いや、もう当分いいわ。満腹です。

空港バスの乗り場は駅南口。北口から駅の中を通って南口へ向かう。改札など無いので駅の中通り放題。
途中、待合室で「そうだ前回はここからキエフを去ったのだなぁ・・・」と再び2年前のことを思い出し、ネガティヴモードに・・・。いかん、いかん。


駅南口からバスに乗り、ポリスピリ空港に着いたのが8時15分。1時間かかると踏んでいたのに、早朝だったせいか30分で到着してしまった。2年ぶりに見るポリスピリ空港は、当たり前のことだが2年経ってもショボいままだった。しかし、気のせいか前回来たときよりも活気があるような?
飛行機は11時40分発なのに、どうやって時間を潰そうか。ショボい空港なので面白いものなど何もありゃしない。しかも早朝なので寒い。外で震えながらタバコを吸う。

お土産を買ったりジュースを飲んだりして時間を潰した後、チェックインに向かう。ウクライナの空港は「税関→チェックイン→出国手続→検査」の順で進む。日本と全然違いますね。
で、チェックイン時にチョットしたトラブルになる。帰りは「キエフ→イスタンブール→成田→羽田→千歳」という経路なのだが、係のおばさんは「荷物は最終目的地まで運んでいいわね?」と言うではないか。最初は「あ、成田でピックアップしなくていいの?ラッキー」と思ったのだが、そんなわけないのだ。
「成田でピックアップだと思うよ?」と言うと、何を勘違いしたのは係のおばさんは「俺が千歳まで持って行っていいと言ったのに、後で成田までにしてくれとゴネだした」と勘違いして怒り出した。なんでやねん!なんでそうなるんじゃ!
いずれにせよ、にゃおんちゃんの荷物は既にベルトコンベアーに乗ってバックヤードへ消えている。面倒くさいので、「とりあえず日本まで運んでくれ。その後はどうでもいいわ」と告げて立ち去る。

続いて、免税店にタバコを買いに行くと「18」という値札がついている。18UAH(約450円)?何でこんなに安いんだ?と首を傾げながらレジへ行くと、「18EUR(約2,600円)です」と言われて驚く。何でここだけ突然ユーロ表示なんじゃ、まぎらわしい!
それでも日本で買うより安いから買ったけどさ・・・空港の売店で買えばもっと安かったのに。モルドバでごっそり買っておけばよかった、と後悔する。



◆親切で平和な日本

イスタンブールには20分遅れの14時に到着。次のフライトは17時20分なので、外に行っている時間は無い。トランジット・エリアを端から端まで行ったり来たりして時間を潰すが、タバコもロクに吸うところがなくてイライラする。飲み物はとんでもなく高いし。(# ゚Д゚)
それにしても日本人をたくさん見かける。すれ違いざまに日本語が聞こえてくることなどザラ。モルドバやウクライナじゃただの一度も日本人を見なかったのに、いるところにはいるもんです。

ジュースを飲んでいたら隣の席にいたトルコ人の男の子がニコニコしながらこっちを見る。目がぱっちりしていて凄く可愛い。「何でお前らそんなに可愛いねん」と萌える。
南朝鮮とは対照的だな。あそこでは子どもの不細工さに驚いたからね。


16時過ぎにゲートへ行くとJALの人がいたので荷物のことを尋ねてみる。「それは成田でピックアップですね。キエフの空港の職員が間違っています」と言われる。ほらみろ!
17時、成田行きの飛行機に乗り込む。機内はほぼ満席で、どうしたって寝転がるのは無理。しかも、にゃおんちゃんの周りの人は皆知り合いのようで、「あ、○○さん、どうもー。今回はどちらに行かれたんですかー?」とか挨拶してる。この飛行機はトルコ・マニアの空飛ぶ集会所か?

出発早々にスチュワーデスが何やら用紙を置いていったが、それはどう見ても外国人が日本に入国するための書類。隣のお兄ちゃんに「これ、どう見ても日本人用じゃないっすね」と言ったところ、そのお兄ちゃんは「何だこれ?英語・・・英語わかんね。知らね」とか言って書類を放り投げて寝てしまった。お前、そのリアクションは何だ!
予想外の反応に手に持った用紙をヒラヒラさせながら唖然とするにゃおんちゃん。

そんな訳でトルコ初心者のにゃおんちゃんが会話に加われるはずもなく、狭いシートで心身ともに窮屈な思いをしながら寝苦しい時間を過ごす。うぅ・・・一人で4席独占して爆睡していたらいつの間にか名古屋に着いていたという、去年のフィンエアーを思い出して泣きながら寝る。


イスタンブールを出発してからどれくらい時間が経っただろうか、日本時間で9月2日(日)午前11時に成田空港へ到着。最高にヘロヘロになっていて、機内で何をしたか殆ど記憶が無い。
入国ゲートを出たところで「にゃおんちゃん様」と書いてある紙を掲げたお姉さんが立っている。何事かと思い申し出ると「お客様の荷物はここでピックアップになりますから」と言われた。イスタンブールの職員がわざわざ成田へ連絡してくれたらしい。にゃおんちゃん、JALのお客さんじゃないのに、すみませんねぇ。ほんとにありがとうございます。
ソ連クオリティのウクライナ人よ、少しはJAL様を見習え。

荷物をピックアップすると、一目散にタバコを吸いに行く。「成田へ来たのは何年ぶりかなぁ?」と一服しながら考えていたら、外の通路におばちゃんの大群がいる。誰か芸能人でも来るのかな?別に誰でもいいけど、うざいわ。
そばにいた空港職員が「どうせまた韓流じゃないっすか?」と言っているのが聞こえた。このおばはんども、朝鮮芸人を一目見るのにわざわざこんなところまで来たのか?あーあ、日本は平和だわ。金正日にミサイルを何発か打ち込んでもらったほうがいいな。



◆バスが高くてラーメンが旨いと感じるソ連仕様

一服すると速やかに移動開始。成田に用は無い。
リムジンバスで羽田へ移動しようと思い、運賃を聞くと「3,000円」と言われてドン引きになる。えー?何でそんな高いねん!
バスの値段が70円とか80円の世界から帰ってきたにゃおんちゃんには途方も無く高い金額に思え、電車で行くことにする。しかし、電車ですら80円や100円なはずがなく、「何でこんなに高いんだ」と文句を言いながら切符を買う。だめだ・・・ソ連仕様に劣化してる、俺。

スカイライナーに乗ると上野へ行ってしまうので、京成電鉄の快速に乗る。しかし、電車は走れど走れど景色はずーっと田んぼのまま。途中で乗り換えもあって、結局羽田まで2時間以上かかった。成田ってこんなに遠くにあったのか?
日本に来た外国人が「何であんなに都心から遠いんだ?」と成田のことをボロクソに言うが、その気持ちがよく分かった。あんなクソ田舎にあるうえに滑走路が一本しかないダメ空港なんか潰れてしまえ!
横田基地と成田を交換したらどうだろう?米軍が田舎の成田に行けばいいねん。空軍の基地なんか都内にある必要ないだろ。

成田は遠かった。かろうじて千歳行きの飛行機には間に合ったが、昼飯も食えぬまま15時発の飛行機で再び機上の人に。
千歳空港に到着したのは16時半。荷物をピックアップすると脇目もふらずにラーメンへ向かう。このとき食ったラーメンの旨いこと。向こうでは毎日ボルシチやらペリメニやら平気で食っていたにゃおんちゃんだが、やっぱり日本食に飢えていたんだなぁ・・・と実感。

毛ガニ村の自宅についたのは22時過ぎ。ヘレンさんとアンドレイさんに安着メールを送り、すぐに爆睡。時差ボケは殆ど無く、次の日から普通に出勤。


今回の旅行記はこれでおしまい。
起こった出来事を書くので精一杯で、現地で考えていたことまでは書けず。向こうで気づいたことや考えていたことは色々とあるのですが、それについてはその都度ということで。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

え?来年?
カフカスか中央アジアか・・・。どちらに行っても今回以上に過酷な旅になると思う。鬱だ・・・。


《終了》
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テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

23:41  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(1)  |  CM(7)  |  EDIT  |  Top↑

2008.01.05 (Sat)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その41)

◆観光もせず、ダラダラと過ごす

チェルノブイリ博物館はドニエプル川沿いのポディール地区にある。博物館を出たにゃおんちゃんは川へ行ってみることに。川のほとりには教会があり、丁度結婚式が終わったばかりのようで新郎新婦が出席者に挨拶していた。
こっちへ来ると、必ず結婚式に遭遇する。にゃおんちゃんにも幸せ分けておくれ。

2年ぶりに見るドニエプル川。特に変化は無いが、上流で新しい橋を建設しているのだろうか?遠くで大きな建設工事をやっていのが見える。川に沿って遊覧船乗り場まで歩き、一休み。相変わらず具合が良くないので、「FIRE」というRedBullもどきの健康飲料を飲んで老体に鞭を打つ。
ベンチに座って休んでいると、お揃いのブレザーを来た学生らしきお兄ちゃんにお姉ちゃんの集団に話しかけられるが、英語が通じないのでたいした話にはならず。しかし、ウクライナ人って20代くらいまでは美男美女だよね。それを過ぎると急激に劣化するのだが・・・。

おめでたい車です
おめでたい車です。今のところ、にゃおんちゃんには縁が無いですけど・・・。

ドニエプル川の遊覧船乗り場
ドニエプル川の遊覧船乗り場。一人なので遊覧船には乗らず。


遊覧船乗り場からケーブルカー乗り場へ移動する。ここからケーブルカーで山を登ると、独立広場の裏手にあるミハイロフ広場へ行ける。初めて乗ったときは面白かったケーブルカーも、二度目となれば何も感じず。
ケーブルカーを降りると、そこは聖ミハイル修道院の裏。聖ミハイル修道院は鮮やかな青に染められたウクライナ・バロック様式のデザインを持つ教会だ。2年前、キエフに来て一番最初に見た歴史的建造物がこの教会で、あまりの美しさに歓喜の声を上げた記憶が蘇る。そのときに見学しているので、今回は中に入らず。

聖ミハイル修道院の隣にはウクライナ外務省がある。入口を見ると左手にウクライナ国旗が、右手にはEU旗が掲げられている。おいおい、ちょっと気が早いんじゃないのか?
バルト三国では街のいたるところでEU旗を見かけたが、さすがにウクライナではそれは無い。EU加盟にもメリット・デメリットがあり、国内でも意見が分かれている。加盟に当たってクリアしなくてはならない基準もあり、ウクライナがEUに加盟するのは容易ではない。とはいえ、ルーマニアやブルガリアですら加盟できるのなら、ウクライナでも可能な気はするが。問題はロシアの影響力なんだろうな。

聖ミハイル修道院
これが聖ミハイル修道院。オリジナルはソ連時代に破壊されてしまったので、これは独立後に復元したもの。

ウクライナ外務省
こんなにでっかくEU旗を掲げちゃって・・・。またロシアからガス止められますよ?


ミハイロフ広場からアンドレイ坂へ向かう。アンドレイ坂には土産物屋がたくさんあるので、日本に帰る前にここでお土産を購入。もう観光する気などまるで無く、帰国前にしなくてはいけないことを淡々と実行するモードに入る。

リュックサック旅行なので、がさばるものはご法度。という訳で、毛糸の靴下やら帽子やらを購入してホテルに帰る。本当はブラーバというウクライナ・コサックが使っていた武器(棍棒にトゲがついている)を買いたかったのだが、小さいものでは迫力不足だし、大きいものはがさばって仕方ない。また今度だな・・・っていうか、3度目はあるのか?ウクライナ訪問。
17時頃にホテルに戻ると、速やかに就寝。具合悪くてもうダメ。



◆キムチ野郎に殺気を覚える in キエフ

20時に起きて食事に行く。具合が悪くても腹だけは減る。手持ちのUAHに余裕があったので使い切ってしまおうと思い、奮発して日本食レストランへ行く。タラス・シェフチェンコ通りの「ヤキトリヤ」には行ったことがあるので、地下鉄パラツ・スポルトゥ駅近くの「ノブ」に行ってみることにする。
ヤキトリヤよりも高級そうなお店で、おしゃれな格好をしたウクライナの紳士淑女が食事をしている。おまいら、ウクライナの勝ち組か?そんな勝ち組に混ざって日本食を食べようとしている日本の負け組にゃおんちゃん。すげー居心地悪くて、この時点で帰りたい気分になる。

気を取り直してメニューを見ると、帰りたい気分が倍増する一品を発見。

「カリフォルニア・ロール with キムチ・ソース」

おい、寿司にキムチはねぇだろ、キムチは!
これが日本食か?これを日本食と呼んでいいのか!


ちくしょー、日本人に成りすました朝鮮人が紛れ込んでいやがるな?厨房を凝視すると東洋人らしき男性が数人見えるものの、どれがニダーかまでは分からず。そういや、ヴィリニュスの寿司屋にも成りすまし朝鮮人が紛れ込んでいたな。もっとも、あそこは日本人の料理人がいるから、ちゃんとした寿司を出すが。
朝鮮人なら朝鮮料理で勝負しろよ。中国人は中華料理で勝負しているのに、朝鮮人は何でこうなんだ?日本人に成りすまして寿司なんか握ってんじゃねーよ、馬鹿野郎。

すっかり気分が悪くなったが、何も頼まずに帰る訳にもいかないので、適当に巻き物を選ぶ。もちろん、「with キムチ・ソース」なんて気色悪いものは頼まない。ウェイトレスのお姉ちゃんの接客がソ連クオリティのウクライナらしからぬ丁重なもので、それだけが救いだった。
ヤキトリヤに行けばよかった・・・。まぁ、あそこも居酒屋の一品料理みたいなものがある変な寿司屋なのだが。

ベッサラブスキー市場近くのネットカフェに寄ってメールをチェックした後、ホテルに戻って爆睡。これにて今回の旅行は事実上終了。後は明日の朝に日本に帰るだけ。
キエフに来てから、ホテルで寝てばかりで何もしてない・・・。


《つづく》

23:35  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.12.24 (Mon)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その40)

◆チェルノブイリ記念館にて

8月31日(金)
今日は今回の旅行の最終日。朝8時30分に目が覚める。普段は朝に弱くて起きるのに苦労しているのに、こっちに来るとロクに寝てないのにちゃんと目が覚める。何故だ。
明日は飛行機に乗って日本に帰るだけなので、今日のうちに用事を済ませておかないと。といってもお土産を買うくらいしかすることはないのだが。2年前に散々観光しているので、キエフ市内には今さら行きたいところなど特に無い。それに、どこへ行っても前回来たときのことを思い出してネガティヴになるだけだろう。
近所の食堂に行って朝ごはんを食べるが、相変わらず体調が悪い。すぐにホテルに戻って昼まで寝る。

昼過ぎに目が覚めるが、せっかくキエフまで来てホテルでゴロゴロして終わるのも勿体無いと思い、出かけることに。どこに行こうか暫し悩んだ末に、チェルノブイリ博物館へ行くことに。
本当はチェルノブイリ原子力発電所があった街プリピャチへ行きたかったのだが、旅行前に調べたところツアーの料金が高すぎて断念していた。チェルノブイリ周辺はウクライナ政府によって封鎖されているので、ツアーに参加しないと立ち入ることすらできない。

地下鉄に乗ってポディール地区(コントラクトヴァ・プローシチャ駅下車)へ移動し、チェルノブイリ博物館へ。余談だが、キエフの地下鉄はかなり深いところを走っており、ホームへ向かうエスカレーターの長さたるや凄まじい。なのでエスカレーターの速度もかなり速く、日本なら怪我人が続出しそうな速度なのだが、現地人は平気な顔をしている。

キエフの地下鉄
キエフの地下鉄駅。ホームは地中深くにあり、ホームへ向かうエスカレーターの速度たるや凄まじい。
有事の際には核シェルターとして使うことを想定して、こんな地中深くに作ったそうな。


博物館は地下鉄駅のすぐそばだった。建物の前にはチェルノブイリで使われたものらしき救急車や軍用ジープが並んでいる。中へ入ると、真正面におどろおどろしい天使の絵が鎮座していて、その前には汚染地区の閉鎖によって消滅した都市や村の名前が書かれた標識がずらっと並んでいる。いきなり威圧感ありすぎです。

博物館の前に並ぶ車両
年代モノのジープや救急車が並ぶ。写真には写っていないが、装甲車もある。

チェルノブイリ博物館のエントランス
中へ入ると、いきなりこんな絵がお出迎えしてくれる。怖いんですけど・・・。


1階はエントランスと事務所のみで、展示物は2階にある。階段を上って最初の部屋には発電所のミニチュアや作業服、汚染除去作業で亡くなった人の写真などが並んでいる。正直言ってたいしたものは無い。放射能に汚染されたものを持ち込めるはずもないので仕方ないとはいえ、ちょっと期待外れ。
唯一インパクトのあるものといえば、犬か何かの胎児であろうか。放射能のせいで奇形になっている。あまりにグロいので写真も撮らず退散する。グロいのには耐えられん。

オブジェその1  オブジェその2
左:作業服を着たマネキンと、作業に従事して亡くなった人の写真
右:何やらおどろおどろしいオブジェがあり、やはり亡くなった人の写真が敷き詰められている

オブジェその3
博物館の中はこんな様子。


その奥には原子炉をイメージした大きな部屋があり、真ん中にはぬいぐるみが積まれた船が置かれている。亡くなった子ども達への追悼なのだろうか?部屋の壁には反原爆・原発を訴えるポスターが掲示されている。
とはいえ、もはや人類の生活から原発を排除するのは不可能なのだ。電力需要は増す一方であり、その一方で化石燃料は高騰し、二酸化炭素の排出削減が叫ばれている。この相反する条件を解決してくれるのは原発だけ。水力や風力発電はクリーンだが、コスト高だし必要な量を確保できない。

にゃおんちゃんはチェルノブイリが原子力発電の限界とか敗北だとは思わない。あれは個々の問題が同時に最悪のパターンで結びついて起こった人災だ。もちろん、一旦暴走すれば制御することもかなわず、最後には爆発して放射能を撒き散らす。汚染された土地は数百年に渡って使い物にならず、生き物には子々孫々にまで及ぶ悪影響を与える。こんな恐ろしいものはそうそうあるまい。
しかし、我々は原発を排除するために自分の生活を犠牲にできるのか?無理だろう。ならば、より安全で完璧な原発の運用を目指すしかないのだ。

オブジェその4
原子炉をイメージした部屋の真ん中に、ぬいぐるみの乗った小船、その奥には亡くなった子ども達の写真が・・・。

オブジェその5
作業員が着ていた防護服。でも、汚染が酷いところではこれを着ていても防護しきれなかった。


《つづく》
20:37  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2007.12.20 (Thu)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その39)

◆アンゴラから来た靴磨き

一度は寝たもののすぐに目が覚めてしまい、寝酒を飲みに外出する。風邪ひいてるのに・・・。
モルドバで会ったドイツ人の教授とも「あそこはいい店だ」と意見が一致したバーがフレシャーティク通りにあり、行ってみるが何故か閉店。定休日なのか?看板すらロクに出てない店なので、さっぱり分からない。
仕方が無いのであても無く独立広場へ向かうと、前回来たときに行ったストリップバーを思い出した。普通のバーだと思って入ったら実はストリップの店で、すぐに逃げようとしたのだが店員に「どうぞー」とにこやかに案内され、逃げるに逃げれず入店してしまったという、苦い思い出のある店だ。 いや、ほんとだってば。信じてないね?
用心棒のお兄ちゃんがプーチン大統領そっくりなのだが、すごく優しい人で仲良くなった記憶がある。他の店員もダンサーの姉ちゃんも気さくで、妙にアットホームな雰囲気で居心地の良い店だった。ストリップバーなのに。

自己嫌悪に陥って凹んでいたので、あの店ならまったり飲めるかと思い行ってみるが・・・その店も潰れて無くなっていた。うーむ・・・どこへ行こうか。夜中にウロつくも嫌だったので、ホテルのバーに行くことにした。向かった先はドニプロ・ホテル。
ホテルに入り、バーがある2階へ行く階段の下に黒人の靴磨きがいて、話しかけてきた。かなり訛っていたが、彼は英語でこう言った。
「バーに行くのかい?ここを上った2階だよ」

礼を言って階段を上るが、そこにあったのはストリップバーだった。いや、だからストリップバーはもういいんだってば。普通のバーは無いのか?
入口にいた用心棒が右手を指差すと、そこにはストリップではない「普通のバーらしきもの」があった。しかし、ショボ過ぎる。カウンター席に5人も座れば満席になってしまうような小さな店なうえに、ドアもパーテーション無いので外から丸見え。さらに、電飾がギラギラしていて趣味悪すぎ。にゃおんちゃん、こんなところで酒飲みたくねぇぞ、帰る!

キエフの独立広場
ここがキエフの中心部、独立広場。

ブロヒン監督
サッカー・ウクライナ代表の前監督オレグ・ブロヒン。ブロヒンさんは国会議員でもある。
歩道に立っている広告看板に議会に関する記事が載っていて、そこに彼の写真が掲載されていた。


階段を下りると、さっきの靴磨きがまた話しかけてきた。
「旦那、バーに行かないのかい?ストリップもありやすぜ?」
ストリップはいらん。今夜はそんな気分じゃない。そんなことより、いくらで磨いてくれる?
「へい、15UAHになりやす」
それじゃお願いしちゃおうかな?にゃおんちゃんの靴磨いてくださいな。
「へいへい、ありがとうございやす。さぁ旦那、そこの椅子に座ってくだせぇ」

靴を磨いてもらいながら、その黒人と世間話をする。彼はアンゴラからの難民で7年ほど前にウクライナへ来たのだという。今ではウクライナ人と結婚して赤ちゃんもいるそうだ。わざわざ携帯電話を取り出して写真まで見せてくれた。
アンゴラってことは・・・ポルトガル語を話すんだね?
「そうそう!ポルトガル語。旦那、アンゴラに行ったことあるんですかい?」
いや、無い。今後も行く予定は無い・・・・・・と思う。

にゃおんちゃんが日本人だと分かると、彼は知っている日本語をいくつか披露した。おぉ、すげぇ!どうして知ってるの?
「へい、あっしの友達が横浜にいやしてね」


にゃおんちゃんの薄汚いブーツを一生懸命磨いてくれたので、15UAHのところを20UAH払った。ところが、さらに金を要求してくる。
「旦那、あっしには幼い子どもが・・・」
だから20UAH払ったでしょ!取れるときに取れるだけ取ってやろうという発想は良くない!

せっかく楽しく会話していたのに、これで一気に気分が悪くなった。これといった酒場も見当たらないので、独立広場近くのビアホールでビールを1杯飲み、その後ネットカフェに寄ってメールをチェックして帰る。
とりあえず酒も飲めたので、満足して寝る。

ベッサラブスキー市場
ベッサラブスキー市場。名前のとおり、元はベッサラビア(現在のモルドバ)から来た行商人が作った市場。
にゃおんちゃんはベッサラビアから来た旅行者。

夜のフレシャーティク通り
夜のフレシャーティク通り。


《つづく》

21:19  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2007.12.17 (Mon)

2007モルドバ・ウクライナ旅行記(その38)

◆キエフにて自己嫌悪に陥る

キエフへやって来たにゃおんちゃんはボリスピリ空港へ行くバスの時刻を調べると、続いてホテル探しに取り掛かる。勝手知ったるキエフの街なので、地図など見なくてもスイスイ移動できちゃう。2年経っても覚えてるもんだね。

独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)まで移動し、周辺の安ホテルをいくつか当たるが全て満室で断られる。「フレシャーティク」とか「ドニプロ」といったホテルは高いことを知っているので、最初から行かない。この周辺に今夜泊まれるホテルは無いことがはっきりしたので、次にどうするか決めなくてはならない。2年前に来た際にはベッサラブスキー市場近くの貸し部屋に滞在していたので、キエフ市内のホテルはよく分からない。どうしようか・・・?
ベッサラブスキー市場の近くにも安ホテルがあったことを思い出したので、キエフの目抜き通りフレシャーティク通りを歩いて向かう。たった2年なので街並みは変わっていないが、やはりあの時よりも活気があるような気がする。ウクライナの景気が良いのは知っていたが、たった2年でこうも雰囲気が変わるものだろうか?いや、それともにゃおんちゃんが旧ソ連仕様に慣れただけなのか?

ツム・デパート
キエフのメインストリート「フレシャーティク通り」に面する元ソ連の国営デパート「ツム・デパート」。
2年前はここでお土産を購入したが、今回は中にすら入らず。


フレシャーティク通り
フレシャーティク通りの様子。車道は8車線あり、歩道だけでこんな広い。
緑が豊かでいい感じですが、両脇に並ぶ建物はスターリン様式なのでゴツくて怖いです。


フレシャーティク通りを歩くこと15分、ベッサラブスキー市場までやって来た。にゃおんちゃんが2年前に棲息していたアパートはここのすぐ裏手。後で見に行ってみよう。
フレシャーティク通りからタラス・シェフチェンコ通りに入ってすぐのところにあるのが、「サンクト・ペテルブルク・ホテル」。キエフにあるけどサンクト・ペテルブルク。フロントに部屋があるか尋ねると、ツインしか空いていないという。部屋を見せてもらったが・・・広いけどボロい。2つ星のボロホテルのくせして、1泊400UAHもしやがる。こんなボロで1泊1万円かよ・・・。駅で会ったレバノン人の兄ちゃんが言っていたとおり、キエフの物価は上昇しているようで。これだけ急激な経済成長してりゃ当然だが。
駅周辺まで戻ってドミトリーでも探そうかと思ったが、ここに来て再び熱っぽくなっていた。ホテルを探して歩いている間にどんどん具合が悪くなっていくのが自覚できたほどだった。もういいわ、金に余裕あるし、ここに泊まることにする。どうせ他のホテルだって値上げしてるんだろう。

チェックインするとベッドに倒れこみ、1時間ほど横になる。だめだ、これは絶対に熱がある・・・。食事してから風邪薬を買ってこよう。そしてさっさと寝てしまおう。飛行機に乗るまでに治しておかないと、帰りのフライトで地獄を見ることになる。
幸いなことに、にゃおんちゃんはこの周辺に何があるのか知っている。どこにどんな食堂があるかも知っているし、薬屋がどこにあるかも知っている。何せ1週間毎日この辺りをウロウロしていたことがあるのだから。

最初はベッサラブスキー市場で食い物を買って部屋で食おうと思っていたが、少し休むと思いのほか気分が良くなったので、地下鉄フレシャーティク通りの近くにある美味しいスタローヴァヤ(カフェテリア形式の安食堂)に行った。目の前に並んでいる料理から自分の食いたいものを選べるので言葉の問題に悩まなくて済むし、この店は前にも来たことがあるので味も知っている。消化の良さそうなものを適当に選び、軽く食べて済ます。さぁ、薬を買いに行こう。
ご飯を食べるとさらに元気が出てきたので、薬屋を探しがてら少し散歩して帰ることにした。スタローヴァヤを出るとすぐに薬屋を見つけた。毎年風邪を引いているので、こっちに来て薬を買うのも慣れたものである。いや、こんなことに慣れたくないのだが・・・。

薬屋の前にいた犬
薬屋の前にいた犬。買い物をしていたご主人様を待っていた。

ウクライナ大統領官邸
寿司の食いすぎで顔面が崩壊したと噂されているユーシェンコ君の家。
そう、これがウクライナの大統領官邸なのです。

キエフの夕暮れ
フレシャーティク通りから一本奥に入ると坂道があり、そこを上るとこんな高台に出ます。
右に見える高い建物は独立広場の前に建っているウクライナ・ホテル。

かつての棲家
正面に見える建築中のビルの隣、白い建物がにゃおんちゃんが2年前に棲息していたアパート。


夕日に染まるキエフの街を見ながら2年前のことを思い出していた。かつて滞在していたアパートはまだ健在だったが、近くでは高層ビルが建築中、そしてにゃおんちゃんが毎日利用していたコンビニもどきの商店はぶっ潰れて空き店舗と化していた。
たった2年しか経っていないが、街には建築中の高層ビルが目立ち、キエフは着々と変わりつつあるようだ。

去年、2度目にヴィリニュスに行った際にはこんなに思い出に浸ることは無かったのに、どうしてここではこんなに後ろ向きになってしまうのだろうか?色々と忘れがたい思い出がある街ではあるが、失ったものは取り戻せないし、時間の流れを戻すこともできない。刺激的な毎日に興奮して有頂天になっていた2年前の俺。あの後、ズタズタになるなんて思いもしなかった。
別にあのときの自分にケリをつけるために戻ってきたわけではない。ただ単にここから帰りの飛行機に乗るから立ち寄ったに過ぎない。でも、誰かが待っていることを期待している自分がいる。もう誰も待っていやしないのに。

ウジウジしてる自分に気づいて激しく自己嫌悪に陥り、うなだれてホテルに帰ると布団をかぶって寝た。こんな気持ちになるためにウクライナに来たわけじゃない。キエフになんか来なきゃよかった・・・。


《つづく》

21:41  |  2007モルドバ・ウクライナ  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑
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