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2007.06.06 (Wed)

黒猫が選ぶ80'Sメタル100選(その2) - V/VOW WOW

最近、更新が滞り気味ですが、仕事がメチャメチャ忙しいのです。ポンセの野望についてはもうしばらくのお待ちを。
で、お久しぶりのこのコーナーの登場。第2回となる今回はVOW WOWの登場。


V / VOW WOW (1987)

V 1.Don't Tell Me Lies
 2.Somewhere In The Night
 3.The Girl In Red
 4.Break Out
 5.Cry No More
 6.Same Town
 7.Born To Die
 8.Waited For A Lifetime
 9.Don't Leave Me Now
10.War Man
Produced by KIT WOOLVEN
Performed by GENKI HITOMI(Vo), KYOJI YAMAMOTO(G), NEIL MURRAY(B), TOSHIHIRO NIIMI(Ds), REI ATSUMI(Key)


【歴史】
天才ギタリスト山本恭司率いる日本初の本格的HRバンドBOW WOW。70年代後半にディスコ・ミュージックやパンクが流行った際には歌謡曲路線に走って大ヒンシュクを買った彼らだったが、NWOBHMのムーブメントに合わせて1981年リリースの「HARD DOG」でHR路線に回帰する。
昔から歌詞が英語の曲が多かったことから分かるとおり、元々海外指向の強かった彼らはイギリスでのHR/HMの盛り上がりを見て欧州進出を決意し、1982年夏に渡英する。イギリスの老舗ロック・フェスティバル「レディング・フェスティバル」に出演した彼らは、その日の出演者の中で一番だったと多くの人に言わしめるほどのパフォーマンスを見せ、手厳しいイギリスのロックファンに「日本にBOW WOWあり」と見せつけた。
彼らのアルバムはダービーのインディペンデント・レーベル『Heavy Metal』を通じてイギリスでも発売され、翌1983年に再び渡英してツアーを行っている。

ところが、突然のメンバー・チェンジがバンドを襲う。1983年11月にもう一人のギタリスト斎藤光浩が脱退したのだ。BOW WOWは1975年の結成以来一度もメンバー・チェンジが無かったことに加え、斎藤はギターのみならずボーカルも取りソング・ライティングもこなす存在だった。歌謡ロック時代のBOW WOWはむしろ彼がバンドの中心と言ってもよいほどで、山本と共にバンドの方向性を担っていた斎藤を失ったBOW WOWは活動を停止する羽目となる。
残されたメンバーは「斎藤抜きでは今までのような音楽性は維持できない」と考え、選任ボーカリストに元NOIZEの人見元基(それまでのBOW WOWは山本と斎藤がリード・ボーカルを分けあっていた)、さらにキーボードに厚見玲衣(元MOON DANCER)を加え、新たにVOW WOWとして生まれ変わった。

1983年に「BEAT OF METAL MOTION」をリリースすると、ストレートなHRが身上だったBOW WOWとは異なり、厚見のキーボードが活躍する重厚でドラマティックなHRを披露してリスナーを驚かせた。また人見の日本人離れしたパワフルな歌と完璧な英語の発音も、多くの人の度肝を抜いた。
1985年に「CYCLONE」、1986年に「VOW WOW III」をリリースして、とても日本人が演奏しているとは思えない完璧なサウンドを作り上げた彼らは再びイギリス進出を決意する。1986年秋に渡英した彼らはロンドン近郊でライヴを重ね、翌年にはメジャー・レーベル『Arista』との契約を手に入れる。
ベーシストの佐野"キンさん"賢治が「家族との暮らしを優先させたい」という理由で脱退するというアクシデントがあったものの、後任に名手ニール・マーレイ(元WHITESNAKE, GARY MOORE BAND)を迎え、『Arista』移籍第一弾として1987年に発表されたのが本作。

1987年当時の宣材写真
1987年当時の宣材写真。右下に『Capital』のロゴが見えるが、彼らのアルバムはアメリカでも発売されていたのだ。にゃおんちゃん、知らなかったぞ。


【本作の聴きどころ】
当時の彼らは売り出し文句に「メガ・ロック」という表現を使っていたが、まさに「メガ」としか言いようがない巨人がそびえ立つような迫力あるサウンドを披露している。加えて、霧が立ち込めるロンドンの街を彷彿させるような深いリヴァーヴがかかった音も最高だった。1987年当時でさえ、ここまで深いリヴァーヴがサマになるバンドはVOW WOWとWHITESNAKEくらいしかいなかった。
楽曲のインパクトなら前作「VOW WOW III」のほうが上だが、メジャーとの契約を手に入れて欧州進出が現実のものとなりつつあった時期に製作されたせいか、歌や演奏のスケールがデカくてパワフルなので、こちらを選択した。

その小柄な体のどこにそんなパワーが?と思うくらいパワフルな新美俊宏のドラムから始まるLED ZEPPELIN風の①(もちろんこのバンド流に染め上げられており、KINGDOM COMEじゃあるまいしZEPの物真似ではない)、厚見の重厚なキーボードが冴える②③、ASIAのジョン・ウェットンが作詞を担当した劇的な⑨あたりは特に素晴らしい。
特に厚見の作曲による⑨は「どうしてこれがヒットしなかったんだ?」というくらいの名曲。イギリスではそれなりに話題になったようで、今でもイギリスに根強いファンを持つ。イギリスでコツコツとライヴをやっていたせいか、イギリスでは日本のHR/HMといえばLOUDNESSではなくこのバンドを挙げる人も多い。

当時のライヴの模様
これも1987年頃のライヴ写真。恭司さんと比較すると、ニール・マーレイがいかにデカいか分かる。


キーボードが活躍する重厚でドラマティックな正統派HRで、VOW WOW解散後に山本が結成するWILD FLAGや再結成BOW WOWとも異なるし、世界的に見ても他に似通ったようなバンドがいない。
メロディアスでドラマティックなHRが好きな人は一聴してみるべし。


【その後】
1989年に「VIBE」をリリース(イギリス盤は「HELTER SKELTER」というタイトルで、内容も若干異なる)し、コツコツとイギリスでライヴ活動を続けるがバンドを取り巻く状況は変わらなかった。しかも、ツアーを終えるとニール・マーレイが脱退し、BLACK SABBATHに加入してしまった。
ニールを失ったVOW WOWは、クラブや小ホール規模の会場によるショート・ツアーを年に2回程度行うのみという状況から抜け出すべくアメリカ進出を画策する。活動の拠点をアメリカ西海岸に移し、新ベーシストに元LIONS & GHOSTのマーク・グールドを加入させたのだ。
そして、1990年に「MOUNTAIN TOP」をリリース。プロデューサーにKISSやPINK FLOYD等を手がけた大物ボブ・エズリンを迎えた力作だったが、頼みのアメリカでの発売が宙に浮くと、以前から音楽性の不一致や日本人のロック・バンドに対する偏見といった問題に悩まされていたバンドは一気に傾き、結局まもなく解散してしまった。

VOW WOW解散後、山本はWILD FLAGを経てBOW WOWを復活させ、現在は新美、斉藤と共に活動している。ベースはキンさんが堅気の仕事に就いているため、サポート・メンバーを起用している。(そんなキンさんだが、スケジュールが合えばたまに飛び入り参加する)
厚見はRED WARRIORSのメンバーとCASINO DRIVEというバンドを結成するが、さほど長続きせず、現在は様々なセッション・ワークを行っている。

そして、人見に至ってはあれほどの歌唱力を持ちながらあっさりとミュージシャン稼業を引退し、英語の先生になってしまった。現在は千葉県の公立高校に勤務している。都内のライヴハウスで行われるセッション・イベントにたまに飛び入りして数曲程度歌うらしいが、見た目は酔っ払いオヤジなのに歌いだすとやはりあの人見元基そのものだそうで、そのたびにファンは複雑な心境になるという。
また、2004年まで放送されていた「まるむしQ」というNHKのTV番組で使用される曲をいくつか歌っており、子ども向けの番組に似つかわしくないど迫力の歌を披露している。


【参考作品】
「V」を聴いて気に入ったら、お勧めしたいのが次の2枚。
まずは「VOW WOW III」。「V」と並ぶVOW WOWの最高傑作。この2枚を聴いて気に入ったのなら、他のアルバムを揃えても後悔しないだろう。
続いてBOW WOW時代の1982年にリリースされた「ASIAN VOLCANO」。メンバー3人が一緒とはいえ、BOW WOWとVOW WOWは音楽性が全く異なり、別のバンドだと思ったほうがいい。しかし、それでも20年以上も前にイギリスに殴り込みをかけた日本のHRバンドの心意気と、イギリスのキッズを驚かせた豪快な音を知ってもらいたい。

VOW WOW III ASIAN VOLCANO


【YouTube】
1989年3月15日、ロンドンのアストリア・シアターで行われたライブ映像。

Don't Leave Me Now / VOW WOW


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21:45  |  黒猫の80'Sメタル100選  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2007.03.19 (Mon)

黒猫が選ぶ80'Sメタル100選(その1) - BLIZZARD OF OZZ/OZZY OSBOURNE

にゃおんちゃんに弟子ができました。DEE君という高校生の可愛い男の子です。
そのDEE君たっての希望により新企画『黒猫が選ぶ80'sメタル100選』の登場です。

本当は70年代や90年代のものも入れたいところですが、そんなことをしたら500枚くらい選ぶ羽目になりそうなので、80年代オンリーで100枚ぽっきりにしておきます。何年かかるかわかりませんが、チマチマとやってきますわ。
なお、DEE君のような初心者向けの企画ですので、クサレ系を出したり、ヒネくれたセレクトはしません。至って真っ当な、世間一般で名盤と呼ばれてるものが多くなるでしょう。そういうわけなので、まにやの皆さん、いぢめないでね。

さて、それでは行ってみよう。記念すべき初回の登場作品はこれ。

BLIZZARD OF OZZ / OZZY OSBOURNE (1980)
BLIZZARD OF OZZ  1.I Don't Know
 2.Crazy Train
 3.Goodbye To Romance
 4.Dee
 5.Suicide Solution
 6.Mr.Crowley
 7.No Bone Movies
 8.Revelation (Mother Earth)
 9.Steal Away (The Night)
10.You Lookin' At Me Lookin' At You
Produced by
OZZY OSBOURNE, BOB DAISLEY, LEE KERSLAKE & RANDY RHOADS
Performed by
OZZY OSBOURNE (Vo), RANDY RHOADS (G), BOB DAISLEY(B), LEE KERSLAKE (Ds)


【歴史】
1979年、BLACK SABBATHをクビになったオジー・オズボーンはアメリカへ渡るが、10年以上も在籍したバンドから解雇されたショックで、ホテルに閉じこもり酒浸りの日々を過ごしていた。そんなオジーを見かねたマネージャーのシャロン・アーデン(後にオジーの妻となる)は自分のバンドを結成することを勧め、オジーは自分のパートナーとなるギタリストを探しはじめた。そして、知人の紹介によってオーディションに現われたのが当時OUIET RIOTというローカル・バンドのギタリストだったランディ・ローズだった。小柄で可愛らしい顔をしたランディを見て女の子と勘違いするほど泥酔していたオジーだが、彼のギターを聴くとその場で合格を言い渡した。

将来を悲観してしょぼくれていたオジーだったが、ランディの才能と穏やかな人柄に励まされて立ち直り、二人は次々と曲を書き上げるとボブ・ディズリー(B:元RAINBOW)とリー・カースレイク(Ds:元URIAH HEEP)を引き連れてスタジオに入り、アルバム2枚分の楽曲をレコーディングした。そして、その半分がオジーのソロ第1作として1980年にリリースされた本作品。
乾いていて抜けの良い音像、シャープでソリッドなリフを持つ楽曲など、それまでのオーセンティックなHRサウンドとは大きく異なり、JUDAS PRIESTの「BRITISH STEEL」やIRON MAIDENの1stと並んで「HMという新しい音楽」の教科書となった。オジーが「HMの帝王」と称されるようになったのも、全ては本作があってのこと。BLACK SABBATH時代の重く暗く混沌とした音を予想していた人はさぞかし驚いたことだろう。

BLIZZARD OF OZZ 1981
1981年当時のBLIZZARD OF OZZ(当時はこういう名前の"バンド"だった)
左からルディ・サーゾ、ランディ、トミー・アルドリッジ、オジー


何より、ランディ・ローズのギターも従来のロック・ギターとは一線を画す斬新なものだった。粒が細かく広角的でサスティーンの効いたサウンドに加え、それまでの主流だったペンタトニック・スケールと手クセ主体のものではなく、幼少の頃から学んでいたクラシックの知識を生かして様々なスケールを駆使したギター・ソロを披露した。それまでのベタなHRギターとは異なり、シャープな音で華麗なフレーズを構築していくそのプレイは多くのギター小僧に影響を与え、1980年代に登場した若手ギタリストは皆「影響を受けたギタリストはエドワード・ヴァン・ヘイレンとランディ・ローズ」と公言するほどだった。
陽性でカラッとしたギターを弾くエディ・ヴァン・ヘイレンに対して、ランディの弾くメロディは欧州的で憂いを帯びていたことから、ここ日本でも絶大な人気を誇った。


【本作の聴きどころ】
捨て曲がひとつもない楽曲の充実度の素晴らしく、ドライヴ感あふれる鋭いリフを持つ①、メジャー・キーを使ったキャッチーなリフにも関わらず狂気を感じさせる②、「狂人オジー」のイメージからは想像もつかない甘く切ないバラードの③、引きずるような重たいリフとグルーヴするリズムが最高に格好良い⑤、ランディとドン・エイリー(Key)が見事なソロを披露するドラマティックな⑥と⑧など、発売から25年以上を経た今でもオジーのライヴでは欠かさず演奏される曲が勢揃いしている。

なお、2002年に発売されたリマスター盤ではリズム隊がロバート・トゥルージロ(B:現METALLICA)とマイケル・ボーディン(Ds)のプレイに差し替えられている。ボブ・ディズリーとリー・カースレイクがこのアルバムの出版印税を巡ってオジーを訴え、シャロンを激怒させたためだ。
オリジナル盤を聞き込んだ人には意見もあるだろうが、ベースもドラムもオリジナルに忠実にプレイされているし、奥に引っ込んでいたランディのギターがリマスターを施したことによってはっきりと聞こえるようになったので、特別なこだわりがある人を除いてリマスター盤を購入することをお勧めする。

ランディ・ローズ  


【その後】
本作で世界中のメタル・キッズの度肝を抜いたオジーとランディは、1981年にリズム隊をQUIET RIOT時代の盟友ルディ・サーゾ(B)、パット・トラヴァースやゲイリー・ムーアとも渡り合った名手トミー・アルドリッジ(Ds)に変えて長いツアーに出る。同年、残り半分の楽曲を2ndアルバム「DIARY OF A MAD MAN」としてリリースした後もツアーは続いた。
そして、その2ndアルバムに伴うツアー中の1982年3月19日、悲劇は起こった。

この日、たまたまツアー・バスの運転手の自宅近くを通りかかった一行は、彼の自宅に立ち寄り暫しの休息を取っていた。その運転手はセスナ機を所有していたことから、ランディと衣装係りの女性が飛行機に乗り込み遊覧飛行を楽しむことにした。ところが、飛行機は超低空飛行でバスの上を通り抜けようとした飛行機はバスに接触し、そのままバランスを失って近くの林の中にある民家に激突して炎上した。乗っていた3人は即死だった。運転手はドラッグユーザーだったという噂がある。楽しい休息は一転して惨劇と化し、トミー・アルドリッジとドン・エイリーは消火器を持って飛行機に駆け寄ったが、激しく燃え盛る炎の前でどうすることもできなかったという。
こうして可愛らしいルックスと穏やかな人柄で誰からも愛された天使のような天才ギタリストは、わずか25歳でこの世を去った。大事なパートナーを失ったオジーはショックから立ち直れず、それでも契約上続ける必要のあったツアーを乗り切るために毎日浴びるように酒を飲み、それまで以上に奇行をエスカレートさせていくことになる。

再び3月19日がやって来た。今年はランディの25周忌だ。ランディが眠っているサン・ベルナルディーノの墓地には、今年も多くのファンが集まるに違いない。
May you rest in peace, Randy...


【参考作品】
「BILZZARD OF OZZ」を聞いて気に入ったら、次の2枚をお勧めしたい。
まずは2nd「DIARY OF A MAD MAN」。1stと同時期に録音されているものなので悪いはずがない。こちらにも"Over The Mountain"、"Flying High Again"、"Tonight"といった名曲が収録されている。
続いて「TRIBUTE」。「ランディの死を商売にしたくない」と長年ライヴ音源の発売を拒み続けてきたオジーだったが、1987年になって遂に本作を発表した。オジーやランディのお母さんの直筆のコメントが添えられている愛情あふれる1枚。選曲も申し分ないし、最高にスリリングなプレイが収録されている。

DIARY OF A MAD MAN TRIBUTE


【Youtube】
唯一存在するランディ在籍時のプロショット映像がこれ。1981年4月28日に「AFTER HOURS」というテレビ番組用に収録されたもので、1stから4曲を演奏している。

I Don't Know / OZZY OSBOURNE


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