2013.07.14 (Sun)
2010フィリピン旅行記(その5)
またしても忘れた頃に更新。ごめんね・・・。
◆父さんは人間より神様のほうが大切なんですか!(2日目)
フィリピン在住のメルトモのおじさんに連れられてマラカニアン宮殿を見に行くことになったにゃおん氏。その途中に立ち寄ったキアポ地区で教会を見ていくことにした。
教会や寺社がその国の経済状況に見合わないほど立派なことは、貧乏国では珍しくない。しかし、このキアポ教会は建物はそれなりに大きいのだが、外見はえらく汚い。「さすが本物の貧乏国、教会に掛けるカネも無いってことか?」と妙な関心をしながら中へ入る。
教会の中は平日の真昼間だというのに人で一杯。敬虔なのはいいことだが、仕事はどうした?と言いたくなるのは、にゃおんちゃんが日本人だからなんだろうな。フィリピン人にとっては多分カネよりも信仰のほうが大事なんだろうし。
ごく普通の教会で特に見るべきものもなさそうだし(ついでに言うと小汚いし・・・)、人が多くてチョロチョロできそうもないので、マラカニアン宮殿へ行くことにする。
さすが大統領が住む場所だけあって、宮殿の入口のみならず、その途中にも警護兵の詰所があり、自動小銃をぶら下げた兵士達が立っていた。本当は彼らの装備品を確認したかったのだが、遠目では確認できなかった。彼らに声を掛ける口実が何かあればよかったのだが、そんなものをとっさに思いつくはずもなく、また変にウロウロして怪しまれては嫌なので素通りするしかなかった。多分、アメリカ製の銃を使っているのだろうけど。
キアポ教会から歩くこと20分程度でマラカニアン宮殿へ到着。事前に申し込みしてあれば中を見学できるのだが、まさか何かに入れるなんて思ってなかったので何もしていない。よって外から建物を眺めるのみ。しかし、外壁に囲まれているのであまりよく見えない。
入口に立っている警備兵に写真撮ってもいい?と尋ねると、「ノー」という回答。ま、仕方ないわな。カザフスタンで大統領宮殿の写真を撮って捕まりそうになっているので、余計なことはしないでおく。
貧乏国では政府関係施設の写真を撮ろうとするとトラブルになることが多い。アメリカや日本じゃホワイトハウスや首相官邸の写真を撮っても叱られないのにね。だいたい、偵察衛星で丸見えなんだから、観光客が写真撮ったくらいでガタガタ言うな。お前だよ、カザフスタンと沿ドニエストル共和国!

キアポ教会。写真で見るとそうでもありませんが、実際は結構汚いです。

マラカニアン宮殿へ行く途中に見つけた大きな教会。サン・セバスチャン教会という名前だそうだ。世にも珍しい鉄骨造りの教会で、戦後に作られたものだと思っていたが、帰国後に調べたところ建築は19世紀末とのこと。
タイミングが悪かったようで、残念ながら中には入れず。
次に我々が向かったのはイントラムロス。かつてスペイン人がフィリピンを統治する際にパッシグ川のほとりに築いた要塞で、周りはぐるっと城壁で囲われている。かつてはその中に教会や大学があったそうだが、第二次世界大戦の際に軒並み破壊されたとのこと。
1941年に日本軍がフィリピンに侵攻した際、アメリカ軍は市街地戦を避けるためマニラから撤退しているが、1944年にアメリカ軍がフィリピンを取り戻しに来た際は、日本軍はマニラから撤退せず、市街地戦をやっちゃってるんだよなぁ。このせいでマニラは瓦礫の山と化してしまったらしい。ごめんよ、フィリピン人・・・。
途中、Jollibee(ジョリビー)というファストフード店に寄って一休みする。このジョリビーはマニラ市内のいたるところで見かける。フィリピンでマクドナルドやKFCがいまいち人気が無いのは、このジョリビーの存在のためと言われている。
ハンバーガーとフライドチキンを食べてみると甘めに味付けされていて、おじさん曰くこれがフィリピン人の好みにマッチしているそうな。でも、残念ながら経営しているのは華僑でフィリピン人ではないとのこと。

イントラムロスへ行く途中に見つけたマッカーサーの銅像。
レイテ島へ上陸する際に撮影されたあの写真がモデルになってます。

フィリピン独立革命のリーダーのひとり、アンドレス・ボニファシオの銅像。
ボニファシオは独立を目指す秘密結社「カティプナン」を率いて1896年に武装蜂起を起こすが、内部抗争によって翌年に粛清されている。
背後に写っている建物は中央郵便局。

キアポ地区の路地で出会った子供たち。皆元気いっぱいでした。笑顔がかわいいね。
≪つづく≫
◆父さんは人間より神様のほうが大切なんですか!(2日目)
フィリピン在住のメルトモのおじさんに連れられてマラカニアン宮殿を見に行くことになったにゃおん氏。その途中に立ち寄ったキアポ地区で教会を見ていくことにした。
教会や寺社がその国の経済状況に見合わないほど立派なことは、貧乏国では珍しくない。しかし、このキアポ教会は建物はそれなりに大きいのだが、外見はえらく汚い。「さすが本物の貧乏国、教会に掛けるカネも無いってことか?」と妙な関心をしながら中へ入る。
教会の中は平日の真昼間だというのに人で一杯。敬虔なのはいいことだが、仕事はどうした?と言いたくなるのは、にゃおんちゃんが日本人だからなんだろうな。フィリピン人にとっては多分カネよりも信仰のほうが大事なんだろうし。
ごく普通の教会で特に見るべきものもなさそうだし(ついでに言うと小汚いし・・・)、人が多くてチョロチョロできそうもないので、マラカニアン宮殿へ行くことにする。
さすが大統領が住む場所だけあって、宮殿の入口のみならず、その途中にも警護兵の詰所があり、自動小銃をぶら下げた兵士達が立っていた。本当は彼らの装備品を確認したかったのだが、遠目では確認できなかった。彼らに声を掛ける口実が何かあればよかったのだが、そんなものをとっさに思いつくはずもなく、また変にウロウロして怪しまれては嫌なので素通りするしかなかった。多分、アメリカ製の銃を使っているのだろうけど。
キアポ教会から歩くこと20分程度でマラカニアン宮殿へ到着。事前に申し込みしてあれば中を見学できるのだが、まさか何かに入れるなんて思ってなかったので何もしていない。よって外から建物を眺めるのみ。しかし、外壁に囲まれているのであまりよく見えない。
入口に立っている警備兵に写真撮ってもいい?と尋ねると、「ノー」という回答。ま、仕方ないわな。カザフスタンで大統領宮殿の写真を撮って捕まりそうになっているので、余計なことはしないでおく。
貧乏国では政府関係施設の写真を撮ろうとするとトラブルになることが多い。アメリカや日本じゃホワイトハウスや首相官邸の写真を撮っても叱られないのにね。だいたい、偵察衛星で丸見えなんだから、観光客が写真撮ったくらいでガタガタ言うな。お前だよ、カザフスタンと沿ドニエストル共和国!

キアポ教会。写真で見るとそうでもありませんが、実際は結構汚いです。

マラカニアン宮殿へ行く途中に見つけた大きな教会。サン・セバスチャン教会という名前だそうだ。世にも珍しい鉄骨造りの教会で、戦後に作られたものだと思っていたが、帰国後に調べたところ建築は19世紀末とのこと。
タイミングが悪かったようで、残念ながら中には入れず。
次に我々が向かったのはイントラムロス。かつてスペイン人がフィリピンを統治する際にパッシグ川のほとりに築いた要塞で、周りはぐるっと城壁で囲われている。かつてはその中に教会や大学があったそうだが、第二次世界大戦の際に軒並み破壊されたとのこと。
1941年に日本軍がフィリピンに侵攻した際、アメリカ軍は市街地戦を避けるためマニラから撤退しているが、1944年にアメリカ軍がフィリピンを取り戻しに来た際は、日本軍はマニラから撤退せず、市街地戦をやっちゃってるんだよなぁ。このせいでマニラは瓦礫の山と化してしまったらしい。ごめんよ、フィリピン人・・・。
途中、Jollibee(ジョリビー)というファストフード店に寄って一休みする。このジョリビーはマニラ市内のいたるところで見かける。フィリピンでマクドナルドやKFCがいまいち人気が無いのは、このジョリビーの存在のためと言われている。
ハンバーガーとフライドチキンを食べてみると甘めに味付けされていて、おじさん曰くこれがフィリピン人の好みにマッチしているそうな。でも、残念ながら経営しているのは華僑でフィリピン人ではないとのこと。

イントラムロスへ行く途中に見つけたマッカーサーの銅像。
レイテ島へ上陸する際に撮影されたあの写真がモデルになってます。

フィリピン独立革命のリーダーのひとり、アンドレス・ボニファシオの銅像。
ボニファシオは独立を目指す秘密結社「カティプナン」を率いて1896年に武装蜂起を起こすが、内部抗争によって翌年に粛清されている。
背後に写っている建物は中央郵便局。

キアポ地区の路地で出会った子供たち。皆元気いっぱいでした。笑顔がかわいいね。
≪つづく≫
2013.02.17 (Sun)
黒猫ポンセのグローバル・メタル:第2回 MORTON (from Ukraine)
このコーナーが登場するのは、ULYTAUを紹介して以来なので約3年半ぶり。
我ながら酷いものだが、探す努力をしているわけでもないのに、良質の辺境メタルバンドなんて簡単に見つかるはずがない。
さて、今回紹介するのはウクライナ出身のMORTONというバンド。
2011年に1stアルバム「COME READ THE WORDS FORBIDDEN」が日本とヨーロッパでもリリースされているので、完全にタイミングを逸してしまった。
実は筆者は2010年秋にこのバンドのデモ音源を入手しており、「これは紹介しなくちゃ!」と思っていたのだが、あれから早2年半が経過してしまった。ごめんよ、MORTON。
2010年秋に所用でウクライナへ行った際、弊サイトの旅行記にも登場するポルタヴァ在住のロック野郎アンドレイと再会したのだが、その際に彼が「これはお前の好みだと思うよ」とくれたCDがこのバンドのデモ音源だった。
デモとはいえそのままアルバムとしてリリースできそうなほどクオリティは高く(5曲しか入ってなかったけど)、これはすぐにデビューが決まりそうだなと思っていたら、案の定1年後にアルバムが発売された。日本盤まで出たのはびっくりしたが。
音楽性は筆者のようなオールドスクールのメタラーには涙ものの正統派ヨーロピアン・ヘヴィメタル。
歌詞は全て英語だし、非常に洗練されていて辺境メタル特有のイモ臭さは皆無なので、何も知らずに聴かされたらウクライナのバンドだなんて絶対に思わないだろう。
KAMELOTやDREAM EVILあたりに通じる、本当にオーソドックスでメロディアスなヨーロピアン・メタルです。
MORTONは2010年にマックス・モートン(Vo,G)を中心にウクライナのキエフで結成されている。最初はマックスのソロプロジェクトとして始まったものだったので、デモはもちろんアルバムに収録されている曲もドラム以外は全て彼がプレイしている。彼は自分のスタジオを所有しており、以前はプロデューサーとして様々なバンドに関わっていたらしい。
デモを制作した頃はマックスがギターを兼任する4人編成だったが、現在はマックス・モートン(Vo)、アレキサンダー・ルドネフ(G)、ローマン・スコロバガトコ(G)、アンドレイ・カルポフ(B)、ディミトリー・スモトロフ(Ds)の5人編成となっている。
MORTON / Sleeping King
デビュー前に作られたPVなので今とメンバーが違います。
MORTON / Foreteller
こちらは2012年8月に開催された「kRock Festival」出演時のライヴ映像。
マックスはライヴでもちゃんと歌えてますね。
彼はトニー・マーティン(元BLACK SABBATH)が大好きだそうで、言われてみればサバスに加入したばかりの頃のトニー・マーティンを彷彿させる部分があるかも。声質は全然違うけど。
我ながら酷いものだが、探す努力をしているわけでもないのに、良質の辺境メタルバンドなんて簡単に見つかるはずがない。
さて、今回紹介するのはウクライナ出身のMORTONというバンド。
2011年に1stアルバム「COME READ THE WORDS FORBIDDEN」が日本とヨーロッパでもリリースされているので、完全にタイミングを逸してしまった。
実は筆者は2010年秋にこのバンドのデモ音源を入手しており、「これは紹介しなくちゃ!」と思っていたのだが、あれから早2年半が経過してしまった。ごめんよ、MORTON。
2010年秋に所用でウクライナへ行った際、弊サイトの旅行記にも登場するポルタヴァ在住のロック野郎アンドレイと再会したのだが、その際に彼が「これはお前の好みだと思うよ」とくれたCDがこのバンドのデモ音源だった。
デモとはいえそのままアルバムとしてリリースできそうなほどクオリティは高く(5曲しか入ってなかったけど)、これはすぐにデビューが決まりそうだなと思っていたら、案の定1年後にアルバムが発売された。日本盤まで出たのはびっくりしたが。
音楽性は筆者のようなオールドスクールのメタラーには涙ものの正統派ヨーロピアン・ヘヴィメタル。
歌詞は全て英語だし、非常に洗練されていて辺境メタル特有のイモ臭さは皆無なので、何も知らずに聴かされたらウクライナのバンドだなんて絶対に思わないだろう。
KAMELOTやDREAM EVILあたりに通じる、本当にオーソドックスでメロディアスなヨーロピアン・メタルです。
MORTONは2010年にマックス・モートン(Vo,G)を中心にウクライナのキエフで結成されている。最初はマックスのソロプロジェクトとして始まったものだったので、デモはもちろんアルバムに収録されている曲もドラム以外は全て彼がプレイしている。彼は自分のスタジオを所有しており、以前はプロデューサーとして様々なバンドに関わっていたらしい。
デモを制作した頃はマックスがギターを兼任する4人編成だったが、現在はマックス・モートン(Vo)、アレキサンダー・ルドネフ(G)、ローマン・スコロバガトコ(G)、アンドレイ・カルポフ(B)、ディミトリー・スモトロフ(Ds)の5人編成となっている。
MORTON / Sleeping King
デビュー前に作られたPVなので今とメンバーが違います。
MORTON / Foreteller
こちらは2012年8月に開催された「kRock Festival」出演時のライヴ映像。
マックスはライヴでもちゃんと歌えてますね。
彼はトニー・マーティン(元BLACK SABBATH)が大好きだそうで、言われてみればサバスに加入したばかりの頃のトニー・マーティンを彷彿させる部分があるかも。声質は全然違うけど。
2013.02.14 (Thu)
2010フィリピン旅行記(その4)
◆一人でムキになったって、貧乏国が変わるもんか(2日目)
初日から朝帰りしてしまった。昼にはメル友のおじさんが迎えに来るというのに・・・。
寝たのは朝の6時過ぎだったが、それほど酒を飲んでいなかったこともあって、何とか11時に起きた。ベッドから這いずり出るようにして起き、フラフラしながら浴室へ。こんな調子で大丈夫かと不安になったが、シャワーを浴びると意外にすっきりして目が覚めた。
出かける準備をしていると、おじさんからSMSが届いた。当初の予定どおり12時過ぎにホテルに来るとのこと。
12時過ぎに部屋を出てロビーでおじさんを待っていると、フィリピン人の若い女の子を連れたおじさん達が次々とどこかへ出かけていく。中には日本人もいた。
うーん・・・おじさんが恋愛しちゃいけないとは言わないが、下手すりゃ自分の娘くらいの年齢の女の子を連れて歩いてるのは違和感ありまくりだなぁ・・・。
そんなことを考えながらロビーでぼーっとしているとおじさんが来た。60代前半だが年齢よりも若く見える。しかし、日焼けと髭のせいで国籍不詳の怪しいおっさんに見える・・・。
おじさんは20年以上前に日本に出稼ぎに来ていたフィリピン人女性と結婚して、定年退職するまでは日本に住んでいたが、定年後にこっちに移住してきた。おじさんはセブ島とマニラに家を持っていて、普段はセブ島にいることのほうが多いのだが、奥さんの実家がマニラ近郊なこともあってマニラへ出てくる機会が多いそうな。
おじさんが丁度こっちに来ているときでラッキーだった。
おじさんに「どこに行きたい?どこでも連れて行ってやるぞ」と言われたので、トンド地区をリクエストするが、「アホか。観光客がノコノコそんなところに行ったら、あっという間に身ぐるみ剥がれて、下手したら殺されるわ!」とあっさり却下。やはり治安は相当によろしくない場所らしい。
トンド地区ってのはマニラの街中にあるスラム街で、観光地として有名なイントラムロス(スペイン統治時代に作られた要塞)から川を渡ったすぐ向こう側にある。かつて、ここの地区にはスモーキーマウンテンという巨大なゴミ捨て場があり、ゴミ拾いで日銭を稼ぐ貧乏人が住む掘っ立て小屋が立ち並んでいた。
『スラム街のバラックに住んでゴミ拾いで日銭を稼ぐリアル貧乏人』を見るためにフィリピンへ来たにゃおんちゃんとしては外せない場所なのだが、強盗に遭ったり殺されたりしては元も子もない。しかし、おじさん曰く「わざわざそんなところまで行かなくても、貧乏人なんかそのへんにいくらでもいる」とのこと。確かにそうだわな。昨夜もエルミタでホームレスをたくさん見ちゃってるわけだし。
しかし、その目的を曲げてしまうと、誘惑に負けて悪い遊びだけして帰ることになりそうで怖い。マニラのソドムっぷりは早くも昨夜に垣間見てしまったわけだし。
誘惑に負けない自信は・・・全く無い。

LRTエドゥサ駅のホーム
ならば、戦跡めぐりをしてみようか。太平洋戦争末期の1945年に日本軍はここマニラで米軍と激しい市街戦を繰り広げている。しかし、マニラ市内には目ぼしい戦跡もロクな博物館も無いことは事前に調査済み。
「バターン死の行進」で有名なバターン半島は遠いし、あれは収容所まで移動する途中に捕虜がバタバタ死んじゃったという話なので、現地まで行ったところで特に何か見るものがあるわけでもない。
となると、やはりコレヒドール島(マニラ湾にある島で米軍の要塞があった)しかないか?
おじさんにリクエストすると、是非行くべきだと言ってくれたが、丸一日掛かるので朝早くに出ないとダメとのこと。ここの近くから船が出ているので、行くのは簡単だという。
希望した場所が様々な利用によりことごとくボツになったので、後はもうマラカニアン宮殿(大統領官邸)に行くしかない。1986年の「ピープルパワー革命」の舞台になった場所ね。
事前に申し込みをしておかないと中には入れないらしいのだが、外から眺めるだけでも十分なので連れて行ってもらうことにした。
汚職まみれで国家財政を私物化するわ、敵対する政治家を暗殺するわ、戒厳令を敷いて議会も憲法も無視するわ、選挙をやれば不正三昧と、20年以上も香ばしき独裁者としてフィリピンに君臨したフェルディナンド・マルコス大統領。しかし、かつては「悪党でもアカよりはマシ」と擁護してくれたアメリカが、東西冷戦の緩和に伴ってマルコスと距離を置き始めると、政権の足元が揺らぎ始める。
1986年の大統領選はインチキのオンパレードで勝利したものの、あまりの酷さに軍から三行半を叩きつけられ、最後は怒り狂った民衆にマラカニアン宮殿を取り囲まれる始末。進退窮まったマルコス夫妻は米軍のヘリで脱出し、そのままアメリカに亡命。主を失ったマラカニアン宮殿には妻のイメルダが買い集めた3,000足の外国製靴、500着のブラジャー、数え切れないほどの香水が残され、その贅沢な暮らしぶりに国民が呆れたという。
実は「香ばしき国々」のフィリピン編を書きかけたこともあるし、マルコスは第二次世界大戦後のアジアを代表する香ばしい独裁者なので、これは行っておかないとね!
まぁ、香ばしいといってもポル・ポト(カンボジア)や李承晩(南朝鮮)みたいなリアルキチガイに比べたら全然ですけどね。
近くにあるエドゥサ駅からLRT(高架鉄道)に乗ってカリエド駅を目指す。
マニラには地下鉄は無いが、代わりに3本の高架鉄道が走っている。日本の地下鉄と比べると一回り小さい車両で、メトロ・マニラ(マニラ首都圏)の人口が1,000万人近いことを考えるとキャパシティ不足なのでは?と思ったが、至って快適だった。
ただし、車両がちょっとボロい。ソ連時代にタイムスリップしたかと思うくらいレトロ感丸出しのミンスクの地下鉄に比べたら全然だけど。
15~20分ほとでカリエド駅に到着。この駅の西側がチャイナタウンで、東側がキアポ地区。マラカニアン宮殿はキアポのさらに東にあるので、駅を出て東を目指す。
空港や近年開発された臨海地区があるパサイは広々として小奇麗な雰囲気があり、エルミタやマラテはダウンタウンっぽい(夜に行ったらホームレスとポン引きだらけだったが・・・)のに対し、ここキアポは本当に庶民の街って感じ。さして広くもない通りの両側に店が立ち並び、さらに路上には屋台が並び、大勢の人でごった返している。おじさんもマニラにいるときは買い物に来るとのことだが、今のにゃおんちゃんには肉も魚も携帯電話も子供のおもちゃも不要なのでスルー。
買い物客で賑わうマーケットを抜けると、大きな教会が目に飛び込んできた。キアポ教会だそうだ。
おじさんが「せっかく来たんだから、ついでにちょっと見ていくか?」と言ってくれたので、寄ってみることにした。

お買い物の街キアポ。とにかくゴチャゴチャしていて人の多い場所です。
≪つづく≫
初日から朝帰りしてしまった。昼にはメル友のおじさんが迎えに来るというのに・・・。
寝たのは朝の6時過ぎだったが、それほど酒を飲んでいなかったこともあって、何とか11時に起きた。ベッドから這いずり出るようにして起き、フラフラしながら浴室へ。こんな調子で大丈夫かと不安になったが、シャワーを浴びると意外にすっきりして目が覚めた。
出かける準備をしていると、おじさんからSMSが届いた。当初の予定どおり12時過ぎにホテルに来るとのこと。
12時過ぎに部屋を出てロビーでおじさんを待っていると、フィリピン人の若い女の子を連れたおじさん達が次々とどこかへ出かけていく。中には日本人もいた。
うーん・・・おじさんが恋愛しちゃいけないとは言わないが、下手すりゃ自分の娘くらいの年齢の女の子を連れて歩いてるのは違和感ありまくりだなぁ・・・。
そんなことを考えながらロビーでぼーっとしているとおじさんが来た。60代前半だが年齢よりも若く見える。しかし、日焼けと髭のせいで国籍不詳の怪しいおっさんに見える・・・。
おじさんは20年以上前に日本に出稼ぎに来ていたフィリピン人女性と結婚して、定年退職するまでは日本に住んでいたが、定年後にこっちに移住してきた。おじさんはセブ島とマニラに家を持っていて、普段はセブ島にいることのほうが多いのだが、奥さんの実家がマニラ近郊なこともあってマニラへ出てくる機会が多いそうな。
おじさんが丁度こっちに来ているときでラッキーだった。
おじさんに「どこに行きたい?どこでも連れて行ってやるぞ」と言われたので、トンド地区をリクエストするが、「アホか。観光客がノコノコそんなところに行ったら、あっという間に身ぐるみ剥がれて、下手したら殺されるわ!」とあっさり却下。やはり治安は相当によろしくない場所らしい。
トンド地区ってのはマニラの街中にあるスラム街で、観光地として有名なイントラムロス(スペイン統治時代に作られた要塞)から川を渡ったすぐ向こう側にある。かつて、ここの地区にはスモーキーマウンテンという巨大なゴミ捨て場があり、ゴミ拾いで日銭を稼ぐ貧乏人が住む掘っ立て小屋が立ち並んでいた。
『スラム街のバラックに住んでゴミ拾いで日銭を稼ぐリアル貧乏人』を見るためにフィリピンへ来たにゃおんちゃんとしては外せない場所なのだが、強盗に遭ったり殺されたりしては元も子もない。しかし、おじさん曰く「わざわざそんなところまで行かなくても、貧乏人なんかそのへんにいくらでもいる」とのこと。確かにそうだわな。昨夜もエルミタでホームレスをたくさん見ちゃってるわけだし。
しかし、その目的を曲げてしまうと、誘惑に負けて悪い遊びだけして帰ることになりそうで怖い。マニラのソドムっぷりは早くも昨夜に垣間見てしまったわけだし。
誘惑に負けない自信は・・・全く無い。

LRTエドゥサ駅のホーム
ならば、戦跡めぐりをしてみようか。太平洋戦争末期の1945年に日本軍はここマニラで米軍と激しい市街戦を繰り広げている。しかし、マニラ市内には目ぼしい戦跡もロクな博物館も無いことは事前に調査済み。
「バターン死の行進」で有名なバターン半島は遠いし、あれは収容所まで移動する途中に捕虜がバタバタ死んじゃったという話なので、現地まで行ったところで特に何か見るものがあるわけでもない。
となると、やはりコレヒドール島(マニラ湾にある島で米軍の要塞があった)しかないか?
おじさんにリクエストすると、是非行くべきだと言ってくれたが、丸一日掛かるので朝早くに出ないとダメとのこと。ここの近くから船が出ているので、行くのは簡単だという。
希望した場所が様々な利用によりことごとくボツになったので、後はもうマラカニアン宮殿(大統領官邸)に行くしかない。1986年の「ピープルパワー革命」の舞台になった場所ね。
事前に申し込みをしておかないと中には入れないらしいのだが、外から眺めるだけでも十分なので連れて行ってもらうことにした。
汚職まみれで国家財政を私物化するわ、敵対する政治家を暗殺するわ、戒厳令を敷いて議会も憲法も無視するわ、選挙をやれば不正三昧と、20年以上も香ばしき独裁者としてフィリピンに君臨したフェルディナンド・マルコス大統領。しかし、かつては「悪党でもアカよりはマシ」と擁護してくれたアメリカが、東西冷戦の緩和に伴ってマルコスと距離を置き始めると、政権の足元が揺らぎ始める。
1986年の大統領選はインチキのオンパレードで勝利したものの、あまりの酷さに軍から三行半を叩きつけられ、最後は怒り狂った民衆にマラカニアン宮殿を取り囲まれる始末。進退窮まったマルコス夫妻は米軍のヘリで脱出し、そのままアメリカに亡命。主を失ったマラカニアン宮殿には妻のイメルダが買い集めた3,000足の外国製靴、500着のブラジャー、数え切れないほどの香水が残され、その贅沢な暮らしぶりに国民が呆れたという。
実は「香ばしき国々」のフィリピン編を書きかけたこともあるし、マルコスは第二次世界大戦後のアジアを代表する香ばしい独裁者なので、これは行っておかないとね!
まぁ、香ばしいといってもポル・ポト(カンボジア)や李承晩(南朝鮮)みたいなリアルキチガイに比べたら全然ですけどね。
近くにあるエドゥサ駅からLRT(高架鉄道)に乗ってカリエド駅を目指す。
マニラには地下鉄は無いが、代わりに3本の高架鉄道が走っている。日本の地下鉄と比べると一回り小さい車両で、メトロ・マニラ(マニラ首都圏)の人口が1,000万人近いことを考えるとキャパシティ不足なのでは?と思ったが、至って快適だった。
ただし、車両がちょっとボロい。ソ連時代にタイムスリップしたかと思うくらいレトロ感丸出しのミンスクの地下鉄に比べたら全然だけど。
15~20分ほとでカリエド駅に到着。この駅の西側がチャイナタウンで、東側がキアポ地区。マラカニアン宮殿はキアポのさらに東にあるので、駅を出て東を目指す。
空港や近年開発された臨海地区があるパサイは広々として小奇麗な雰囲気があり、エルミタやマラテはダウンタウンっぽい(夜に行ったらホームレスとポン引きだらけだったが・・・)のに対し、ここキアポは本当に庶民の街って感じ。さして広くもない通りの両側に店が立ち並び、さらに路上には屋台が並び、大勢の人でごった返している。おじさんもマニラにいるときは買い物に来るとのことだが、今のにゃおんちゃんには肉も魚も携帯電話も子供のおもちゃも不要なのでスルー。
買い物客で賑わうマーケットを抜けると、大きな教会が目に飛び込んできた。キアポ教会だそうだ。
おじさんが「せっかく来たんだから、ついでにちょっと見ていくか?」と言ってくれたので、寄ってみることにした。

お買い物の街キアポ。とにかくゴチャゴチャしていて人の多い場所です。
≪つづく≫
2013.02.11 (Mon)
2010フィリピン旅行記(その3)
◆ほぅ、思いきりのいいゴーゴー嬢だな。手ごわい。しかし!
さっさと帰って寝ればいいものを、好奇心に負けてエドコンへ来てしまった。
やはりここもエントランスにガードマンがいて、さらに金属探知機まで置いてある。身体検査に引っかかってデジカメを取り上げられた。内部は撮影禁止らしい。もちろん、デジカメは帰りに返してくれるとのこと。
さて、中へ入ると真っ先に目に入ったのがロビーにある食堂。女の子がメシを食っているが、派手な衣装を着ているのでこの中に入っているゴーゴーバーで働いている嬢なのだと一目で分かる。腹が減っていたので彼女達が食べているものをじーっと見ていると、「一緒に食べる?」と言われた。にゃおんちゃんはメシを食う金も無いほど貧乏に見えたのか、それもフィリピン人のオープンな性格故なのか・・・。
さすがに他人様のメシを強奪するほど飢えてはいないので、丁重にお断りしてゴーゴーバーへ行ってみることに・・・って、たくさんあってどこに行けばいいのか分からんし。1階だけで6~7件くらいあるし、2階にも何件かありそうだ。
どこへ行けばいいのか分からず見回していると、あちこちからの店から「どうぞ!」と手招きされる。殆どの店はボーイさんが手招きしているのに対し、一件だけがボーイさんのみならず女の子達まで総出で「こっち!こっち!」と一生懸命手招きしている。そんなに暇な店なのか・・・?
そうか、それじゃあんたところの売り上げにささやかな貢献してやるか。というわけで、入口から見て左手にある店に突入。店の名前?忘れた・・・。
店内は、店のド真ん中にポールがたくさん刺さったステージがあり、それを取り巻くようにボックス席があるというレイアウト。ステージの上では数人の女の子が気だるそうに踊っており、そのステージに沿って設置されているカウンターで白人男性がチビチビと酒を飲んでいるのが見えた。えーと・・・お客さんは彼ひとりだけ?
何とも寂しい光景だが、午前3時のゴーゴーバーなんてこんなものか、と気を取り直して席に座る・・・が、途端に店内にいたゴーゴー嬢10名近くが一斉に突進してきて大騒ぎになる。「私と一緒に飲みましょう」「ここに座ってもいい?」と口々にまくしたてるが、おいおい俺はまだ飲み物も注文してないんだぞ。無視してウェイトレスに飲み物を注文しようとすると、今度は一斉に「私にも!」攻撃だ。しまいにはウェイトレスまで「私にも!」と言い出すわ、ポラロイドカメラで写真を撮ってそれを売りつけるおっさんが来て「旦那、写真どうですか!」と言い出すわで、もう収拾がつかなくなる。
あまりの酷さにキレたにゃおんちゃんは「やかましい!全員俺から離れろ!さもなきゃ俺は帰る!」と吠える。何なんだ、この店は。ゴーゴーバーってどこもこんな調子なのか?
とりあえずゴーゴー嬢以外は追い払うことに成功したが、それでもまだ5人くらいが席にへばりついている。お前ら・・・。根負けしたにゃおんちゃんは、こいつら全員に飲み物を一杯ずつ奢ってやる羽目に。
ちょっと様子を見に来ただけで端からお持ち帰りする気は無かったのだが、まるで獲物を見つけたピラニアのように群がってくる連中の強欲さにムカついたにゃおんちゃんはささやかな復讐を試みることにした。
閉店間際のこの時間までここにいるってことは、この子達は全員売れ残りってこと。ドリンクバックの稼ぎなんて知れているだろうから、彼女達はお持ち帰りしてもらわないと稼ぎにならない。それをいいことにチビチビ酒を飲みながら、「あー、君は可愛いね」とか「お?君も可愛いね」と全員を褒めて気をもたせる一方で、「いやー、誰をお持ち帰りしようか迷っちゃうね」と焦らす俺。いやー我ながら性格悪い。
どーせお前ら、客のおじさん達から散々カネをふんだくってるんだろうが。にゃおんちゃんがここで一矢報いてやる。
そんな調子でのらりくらりと彼女達のお色気攻撃をかわし続けること約1時間、閉店間際になると彼女達はついに悲鳴を上げた。
「あなたは一体誰をお持ち帰りするの?!」
そして、閉店時間の午前4時。大音量で流れていた音楽が止み、店内が明るくなると、彼女達に向かって言い放つ。
「あれ?もう閉店?俺、疲れたから帰って寝るわ。じゃーねー」
目が点になっているゴーゴー嬢達を尻目に颯爽と店を後にするにゃおんちゃん。
ウェーハッハッハ!戦いとは常に二手三手先を読んで行うものニダ。
意気揚々とホテルに引き上げるが、その途中でタバコが切れていることに気づいたのでコンビニへ立ち寄る。フィリピンにもセブンイレブンがあり、タバコや飲み物やちょっとした食い物なんかは時間を気にせず簡単に調達できる。
ところが、タバコを買ってホテルへ戻る道中、さっきの彼女達とバッタリ再会してしまった。さっきのことがあるから無視するか、あるいは文句でも言ってくるのかと思いきゃ、「あれ?あなた、こんなところで何してるの?私達、これからご飯食べに行くんだけど、一緒にどう?」と誘われてしまった。
メシを奢ってもらうのを期待して誘ってるんだろうなぁ・・・とは思ったが、細かいことは気にしないところが妙に清々しく感じたので、彼女達の誘いに乗ることにした。行き先を聞くとマラテのレストランだと言うので、4人しか乗れないタクシーに6人で乗り込み、すし詰めになりながら向かうことに。
タクシーで15分ほど移動し、到着したところはマラテにある大きな教会のそばにあるレストラン。オープンテラス(っていうか殆ど路上だが)で雰囲気も良さげ。
食べたいものがあるか尋ねられたが、フィリピン料理について何も知らないので、好き嫌いは無い旨を伝えて彼女達に任せる。毎朝ボルシチと黒パンで2週間過ごしても平気な人間なので、よほど変なものじゃなけりゃ何でも食うぞ。
とりあえずビールで乾杯して彼女達と話をしたのだが、キャッキャッと楽しげに仲間同士でじゃれ合う姿は、どう見ても普通の若い女の子達のそれ。どんな性悪のアバズレ女どもかと身構えていたのに、完全に拍子抜けしてしまった。
彼女達の生活について尋ねると、多くが地方の出身で田舎の家族に仕送りしているという。物欲に目が眩んでカネ目当てで働いてる子はいなくて、やはり貧しい家族を助けるためにこの仕事をしている。私生活も質素で、彼女達はアパートを4人でシェアして暮らしているのだという。(1人だけはマニラ出身で実家暮らしとのこと)
「本当は嫌だよ、こんな仕事。だけど、お金が必要だから仕方ないよね」と言われ、リアル貧乏人を見てくるぜ!と意気込んでいた旅行前の威勢の良さはどこへやら、すげーしんみりして凹むにゃおんちゃん。
しかし、彼女達はそんな日々の生活のつらさは殆ど見せず、どこまでも明るく振る舞う。
「私達は仲間!今日は私達は誰もお客さんを取れなかったから、皆で一緒に帰る。抜け駆けはしないの!」などと仲間同士の団結心を見せる一方で、「でもあなたも一緒に帰って皆で6PするならOKよ」とオチをつけて笑わせる。
バロット(アヒルの有精卵を茹でたもので、中にヒヨコが・・・)売りが通りかかると、外国人はそんなものを食えないと分かってるくせに食べさせようとし、ドン引きするにゃおんちゃんの姿を見て大笑いする。
こんな過酷な環境で生きてるのに、彼女達はどうしてこんなに明るく元気なのだろう?
もう、このあたりまで来るとにゃおんちゃんは顔で笑いながらも、心の中では号泣しっぱなしだった。
彼女達と食べたクリスピーパタ(豚足の唐揚げ)の味は一生忘れないだろうな。
帰り際、皆とお別れの挨拶をしてタクシーを探して歩いていると、彼女達のひとりが走り寄って来た。一緒にご飯を食べた5人のうちのひとり、マリアが電話番号を交換したがっているという。
マリアは彼女達の中で一番口数が少なく、にゃおんちゃんの隣に座っていたのにあまり話をした記憶が無い。皆のために黙々と料理を取り分けていた印象がある。
とはいえ、無下に断る理由もないので、彼女の希望通り電話番号を交換して別れた。
ホテルに戻ると、午前6時近かった。初日からはっちゃけ過ぎた。
お昼にはおじさんが迎えに来るというのに、起きられるのだろうか・・・。
≪つづく≫
さっさと帰って寝ればいいものを、好奇心に負けてエドコンへ来てしまった。
やはりここもエントランスにガードマンがいて、さらに金属探知機まで置いてある。身体検査に引っかかってデジカメを取り上げられた。内部は撮影禁止らしい。もちろん、デジカメは帰りに返してくれるとのこと。
さて、中へ入ると真っ先に目に入ったのがロビーにある食堂。女の子がメシを食っているが、派手な衣装を着ているのでこの中に入っているゴーゴーバーで働いている嬢なのだと一目で分かる。腹が減っていたので彼女達が食べているものをじーっと見ていると、「一緒に食べる?」と言われた。にゃおんちゃんはメシを食う金も無いほど貧乏に見えたのか、それもフィリピン人のオープンな性格故なのか・・・。
さすがに他人様のメシを強奪するほど飢えてはいないので、丁重にお断りしてゴーゴーバーへ行ってみることに・・・って、たくさんあってどこに行けばいいのか分からんし。1階だけで6~7件くらいあるし、2階にも何件かありそうだ。
どこへ行けばいいのか分からず見回していると、あちこちからの店から「どうぞ!」と手招きされる。殆どの店はボーイさんが手招きしているのに対し、一件だけがボーイさんのみならず女の子達まで総出で「こっち!こっち!」と一生懸命手招きしている。そんなに暇な店なのか・・・?
そうか、それじゃあんたところの売り上げにささやかな貢献してやるか。というわけで、入口から見て左手にある店に突入。店の名前?忘れた・・・。
店内は、店のド真ん中にポールがたくさん刺さったステージがあり、それを取り巻くようにボックス席があるというレイアウト。ステージの上では数人の女の子が気だるそうに踊っており、そのステージに沿って設置されているカウンターで白人男性がチビチビと酒を飲んでいるのが見えた。えーと・・・お客さんは彼ひとりだけ?
何とも寂しい光景だが、午前3時のゴーゴーバーなんてこんなものか、と気を取り直して席に座る・・・が、途端に店内にいたゴーゴー嬢10名近くが一斉に突進してきて大騒ぎになる。「私と一緒に飲みましょう」「ここに座ってもいい?」と口々にまくしたてるが、おいおい俺はまだ飲み物も注文してないんだぞ。無視してウェイトレスに飲み物を注文しようとすると、今度は一斉に「私にも!」攻撃だ。しまいにはウェイトレスまで「私にも!」と言い出すわ、ポラロイドカメラで写真を撮ってそれを売りつけるおっさんが来て「旦那、写真どうですか!」と言い出すわで、もう収拾がつかなくなる。
あまりの酷さにキレたにゃおんちゃんは「やかましい!全員俺から離れろ!さもなきゃ俺は帰る!」と吠える。何なんだ、この店は。ゴーゴーバーってどこもこんな調子なのか?
とりあえずゴーゴー嬢以外は追い払うことに成功したが、それでもまだ5人くらいが席にへばりついている。お前ら・・・。根負けしたにゃおんちゃんは、こいつら全員に飲み物を一杯ずつ奢ってやる羽目に。
ちょっと様子を見に来ただけで端からお持ち帰りする気は無かったのだが、まるで獲物を見つけたピラニアのように群がってくる連中の強欲さにムカついたにゃおんちゃんはささやかな復讐を試みることにした。
閉店間際のこの時間までここにいるってことは、この子達は全員売れ残りってこと。ドリンクバックの稼ぎなんて知れているだろうから、彼女達はお持ち帰りしてもらわないと稼ぎにならない。それをいいことにチビチビ酒を飲みながら、「あー、君は可愛いね」とか「お?君も可愛いね」と全員を褒めて気をもたせる一方で、「いやー、誰をお持ち帰りしようか迷っちゃうね」と焦らす俺。いやー我ながら性格悪い。
どーせお前ら、客のおじさん達から散々カネをふんだくってるんだろうが。にゃおんちゃんがここで一矢報いてやる。
そんな調子でのらりくらりと彼女達のお色気攻撃をかわし続けること約1時間、閉店間際になると彼女達はついに悲鳴を上げた。
「あなたは一体誰をお持ち帰りするの?!」
そして、閉店時間の午前4時。大音量で流れていた音楽が止み、店内が明るくなると、彼女達に向かって言い放つ。
「あれ?もう閉店?俺、疲れたから帰って寝るわ。じゃーねー」
目が点になっているゴーゴー嬢達を尻目に颯爽と店を後にするにゃおんちゃん。
ウェーハッハッハ!戦いとは常に二手三手先を読んで行うものニダ。
意気揚々とホテルに引き上げるが、その途中でタバコが切れていることに気づいたのでコンビニへ立ち寄る。フィリピンにもセブンイレブンがあり、タバコや飲み物やちょっとした食い物なんかは時間を気にせず簡単に調達できる。
ところが、タバコを買ってホテルへ戻る道中、さっきの彼女達とバッタリ再会してしまった。さっきのことがあるから無視するか、あるいは文句でも言ってくるのかと思いきゃ、「あれ?あなた、こんなところで何してるの?私達、これからご飯食べに行くんだけど、一緒にどう?」と誘われてしまった。
メシを奢ってもらうのを期待して誘ってるんだろうなぁ・・・とは思ったが、細かいことは気にしないところが妙に清々しく感じたので、彼女達の誘いに乗ることにした。行き先を聞くとマラテのレストランだと言うので、4人しか乗れないタクシーに6人で乗り込み、すし詰めになりながら向かうことに。
タクシーで15分ほど移動し、到着したところはマラテにある大きな教会のそばにあるレストラン。オープンテラス(っていうか殆ど路上だが)で雰囲気も良さげ。
食べたいものがあるか尋ねられたが、フィリピン料理について何も知らないので、好き嫌いは無い旨を伝えて彼女達に任せる。毎朝ボルシチと黒パンで2週間過ごしても平気な人間なので、よほど変なものじゃなけりゃ何でも食うぞ。
とりあえずビールで乾杯して彼女達と話をしたのだが、キャッキャッと楽しげに仲間同士でじゃれ合う姿は、どう見ても普通の若い女の子達のそれ。どんな性悪のアバズレ女どもかと身構えていたのに、完全に拍子抜けしてしまった。
彼女達の生活について尋ねると、多くが地方の出身で田舎の家族に仕送りしているという。物欲に目が眩んでカネ目当てで働いてる子はいなくて、やはり貧しい家族を助けるためにこの仕事をしている。私生活も質素で、彼女達はアパートを4人でシェアして暮らしているのだという。(1人だけはマニラ出身で実家暮らしとのこと)
「本当は嫌だよ、こんな仕事。だけど、お金が必要だから仕方ないよね」と言われ、リアル貧乏人を見てくるぜ!と意気込んでいた旅行前の威勢の良さはどこへやら、すげーしんみりして凹むにゃおんちゃん。
しかし、彼女達はそんな日々の生活のつらさは殆ど見せず、どこまでも明るく振る舞う。
「私達は仲間!今日は私達は誰もお客さんを取れなかったから、皆で一緒に帰る。抜け駆けはしないの!」などと仲間同士の団結心を見せる一方で、「でもあなたも一緒に帰って皆で6PするならOKよ」とオチをつけて笑わせる。
バロット(アヒルの有精卵を茹でたもので、中にヒヨコが・・・)売りが通りかかると、外国人はそんなものを食えないと分かってるくせに食べさせようとし、ドン引きするにゃおんちゃんの姿を見て大笑いする。
こんな過酷な環境で生きてるのに、彼女達はどうしてこんなに明るく元気なのだろう?
もう、このあたりまで来るとにゃおんちゃんは顔で笑いながらも、心の中では号泣しっぱなしだった。
彼女達と食べたクリスピーパタ(豚足の唐揚げ)の味は一生忘れないだろうな。
帰り際、皆とお別れの挨拶をしてタクシーを探して歩いていると、彼女達のひとりが走り寄って来た。一緒にご飯を食べた5人のうちのひとり、マリアが電話番号を交換したがっているという。
マリアは彼女達の中で一番口数が少なく、にゃおんちゃんの隣に座っていたのにあまり話をした記憶が無い。皆のために黙々と料理を取り分けていた印象がある。
とはいえ、無下に断る理由もないので、彼女の希望通り電話番号を交換して別れた。
ホテルに戻ると、午前6時近かった。初日からはっちゃけ過ぎた。
お昼にはおじさんが迎えに来るというのに、起きられるのだろうか・・・。
≪つづく≫